2008年7月の小ネタ

『キーボード配列 QWERTY の謎』 [id]

NTT出版から出ている『キーボード配列 QWERTY の謎』(amazon) 読了。QWERTY 配列に関してよく言われる、「タイプスピードをわざと遅くするために打ちにくい配列にしてある」という風説を、タイプライターの歴史を徹底的に調べ、様々な資料を持ち出して否定している。とにかく膨大な資料を調べていて面白いのだが、肝心の「どうして QWERTY 配列はこの配列になったのか」の部分については、結局未解明なのがどうにもこうにも座りが悪い。ただ、この配列に至るまでの過程がほとんどタイプライターの産みの親、クリストファー・レイサム・ショールズひとりによってなされたものなので、彼自身が残したメモでも出てこない限り解明されることはないだろう。あるいは、試作品を復元して、QWERTY 配列が機構上の制約で産まれたものなのか、レイサムなりの打ちやすさを追求して産まれたものなのかを、推測することはできるかもしれない。

という訳で肝心の謎が解明されていない点と、著者らがやたらと攻撃的な口調で「アンチ QWERTY説」を攻撃しているのが、もやもやとした読後感を残す。「歴史の真実を追求しようという姿勢」はご立派ですが、詰めが甘かった。

2008.7.20

『まるいち的風景』 [id]

柳原望の『まるいち的風景』が文庫化されたので早速買ってきた (amazon:第1巻第2巻)。単行本未収録作品も今回収録されたので、単行本で揃えているにも関わらず買ってしまった。

まるいちは、あちこちの研究者(特にロボット研究者)に薦めまくったなぁ。薦めるまでもなく業界には結構読者がいて、稲見さんもそういえば人に薦めまくっていた。作者の柳原さんを囲んでのトークイベントなりワークショップなりをしてみたいと思っていたら、 2004年のSF大会で柳原さんを囲んでの企画があったと後で聞き、悔しい思いをしたものだ。

今に至っても、ロボット研究者・インタフェース研究者にとっては必読の書であることに変りはない。ただ、「行動トレース」というインタフェースが優れているから薦めているのではないことには注意して欲しい。実のところ、人間の行動を見て学習する行動トレースという手法はあと百年経っても実現することはできないだろう。「まるいち」のいいところは、ロボットが家庭に入り始めたときにどんな使われ方をするのか、どんな出来事が起こりうるのかをしっかりと考えて描いているところにあるんだよね。この手のシミュレーションは本来 SF では常套手段なんだけど、アシモフあたりだと舞台が未来過ぎるか家庭の外だし、テーマが複雑なのが多い。「まるいち」は、道具立てを「行動トレース型ロボット」に絞り込んであるが故に、話の筋が明確だし、起きる事件はどれも身近な世界での事。想像力を隅々まで働かせて描いてあるので、とても説得力があるし、そこここにそっと忍ばせてあるアイデアがまた秀逸だから、読んでいてとっても爽快感がある。

ロボットやインタフェースの研究者で、自分が研究開発しているものが社会に、家庭に入っていった時にどんな使われ方をするのかを、ここまでしっかりと考えて示せている人がどれくらいいるか。少なくとも研究者はそれを考えることを試みるべきだし、よしんばそれが苦手だとしたら、こうした具体的な状況を考えられる人と尊敬をもって接するべきだ。

2008.7.20

オリエント工業ショールームに行ってきた [id]

いわゆるラブドールの老舗、オリエント工業のショールームに、ロボット研究者や技術者と行ってきた。残念ながらショールーム内写真撮影禁止なので、部屋の中がどんな感じだったかを写真でお伝えすることがかなわないのだが、とにかく、凄かった。

部屋の中には20体近くのドールが座してこちらを見つめていた。様々な形状 (特に乳部の大きさ) のドールがあり、それらが触り放題。オリエント工業独自開発のシリコーン製肌の触り心地を確かめてきたのだが、なるほどたしかに、つっついたり撫でたりして気持ちのいい素材だ。顔の造形や脚部から臀部にかけてのラインもよくできている。

が、これが本物そっくりか、と言われるとそんなでもなくて、やはりシリコーンはシリコーンだな、という感じなんだけど、まぁ需要的には本物そっくりである必要はないんだろうな。脳内のファンタジーを十分に満たしてくれればそれでいい訳で。

ただ、どれも重い! 34kg とか、一般的な女性の体重に比べれば失礼なまでに軽いんだけど、自分からはピクリとも動いてくれない 34kg ですからね。椅子からベッドに運んだり寝返りをうたせるだけでも一苦労。とっかえひっかえなんて絶対無理。

なお、ショールームに団体でおしかけたら、「団体でいらっしゃる時はその旨必ずおっしゃってください。普通、お客様はお一人様でいらっしゃいますので…」と言われてしまった。一人でやってきて、じっくり説明を聞いていくものなのだとか。いやどうもすみません。

ちなみに、持ち帰り用のカタログセットを200円出して買ってきたところ、シリコーンの見本がついてきました。モチモチで気持ちいいけど、トック (韓国の餅) の輪切りみたい。

それにしてもこのカタログ、自宅の書類入れに置いておくのはちょっと恥ずかしい。かといって職場に置いておくのもいかがなものか。

2008.7.24

野球選手を測る指標 [id]

ペナントレースを勝つ上で、チームにどんな選手を集めれば勝てるのか? という問題に対して、独特の選手評価手法を取り入れ、少ない資金にもかかわらずプレーオフの常連にのし上がったオークランドアスレチックスの取り組みを題材とした『マネーボール』(amazon)を読了。結構前に話題になった本なんだけど、急に読みたくなって取り寄せたのだ。

読みたくなったきっかけの一つは、ビジネスジャンプで連載されていた異色の野球漫画『ワンナウツ』(amazon)を久しぶりに読み返したから。『ワンナウツ』自身とても面白い野球漫画なのでお薦めなのだが、それはさておいてこの漫画の中で、打率ではなく出塁率こそが打者の能力を図る上で重要な指標である、という話が出てくる。

『マネーボール』でも、アスレチックスがドラフトやトレードで選手を獲得する上で最重要視しているのが出塁率だった。他の球団が、打率や本塁打数など一般的に知られた指標を元にして、高い金を出して「優れた」選手を買ってくるのに対し、ゼネラルマネージャーのビリー・ビーン率いるアスレチックスは、アスレチックス独自の評価法では有能と評される割には世間での評価の低い、「お買い得」な選手を格安で獲得するのだ。安くて有能な選手を集めてこられるから、厳しい資金の制約にも関わらずアスレチックスは勝ちまくる。そのうち、アスレチックスが獲得した選手の優秀さが認められてくると、他球団に高値で放出する。その際、値段を吊り上げるためにわざわざセーブポイントのようなわかりやすい指標をあらかじめ稼がせておくといったことまでやってのける。ヤンキースがアスレチックスから獲得したジェイソン・ジオンビーなどはその最たる例だ。

このアスレチックスのやり方を踏襲したのが、ボストンレッドソックスである。こちらの方は NHK の番組でも取り上げられていたので知っている方も多かろう。

番組で面白かったのが、レッドソックスは戦略として、単に「勝つ」ことを目標とするのではなく、「利益を上げる」ことを重視しているということ。つまり、安くて優れた選手を獲ってきて勝つだけでなく、いかに観客動員を増やし、収益を上げるかを考えて球団を運営している、という訳だ。

ここでミソとなるのは、単に無名で優れた選手だけを擁していると、収益がたいして上がらないという点だ。ある程度はスター選手と呼ばれるような存在がないと、グッズの売り上げや観客動員を向上させることができない。その点を加味して選手を起用しないと、球団全体の利益が向上しないということらしい。

レッドソックスが大金を投じて松坂を獲得したのも、日本でのファンを獲得し、放映権料やグッズ売り上げの向上を目論んでのこと。出塁率や K/BB (三振/四死球) などの指標だけでなく、「集客力」とでもいうべき指標をも評価されてのことなのだ。

この、全体での収益を向上させるための選手起用法について知りたくて『マネーボール』を読んだのだが、残念ながらアスレチックスではそこまでは手が回らなかったらしく、触れられていなかった。それについてはそのうちレッドソックスを研究した本が出るだろうから、それを待つことにしよう。

このあたりの話は実のところ、「研究者の能力を測る上で最適な指標は何か」「大学や企業の運営において、『役に立つ』研究者とはどのような能力を持つ人なのか」という命題にもつながるんだよね。今のうちに研究しておいて損はない。

2008.7.30