1999年11月の小ネタ
1日 ![[id]](/img/id.png)
三日前の夜、面白いものを見た。三日も前の事を書くのかと怒る方もおられるかもしれないが、このページは日記ではなく、表題の通り小さなネタを書くところなので後めたい事は何一つない。それはともかく、夜中の零時頃に家の近くの商店街を歩いていると、後から走ってきたトラックがすぐ脇に停車した。その途端、強烈に生臭い匂いが漂ってきた。トラックの運転手は、シャッターの閉じた店先に置いてあったバケツの中身を荷台に放り込んでいく。背伸びして荷台の中を覗き込むと何とそこには、魚の頭・尾・中骨・臓物が一面に拡がっていた。運転手は、脇に置いてある小さいポリタンクに貯められた水でバケツを洗うと、トラックに乗り込み、走り去っていった。
2日 ![[id]](/img/id.png)
とうとう空中飛行術をマスターした。なに、夢の話なのでびっくりする必要はない。これまで何度となく夢の中で使ってきた空中飛行術は、大空を自由に飛びまわるという類のものではなく、立ったままの姿勢で、地上10cmぐらいの高さを、地面に沿うようにスルスルと滑るように進むというものだ。
これまでは、何かの拍子に吹き上ってしまって高度が上り、着地の際の衝撃が大きくなってしまうというミスが多発していたのだが、今朝の夢の中でとうとう高度を制御する方法を身につけたのである。これで、どんな所でも腕組みしたままスイスイと滑って行ける上に、落差のある所も難なくこなせるようになった。
さて、こうなると興味が出てくるのは、次回の夢にこの技術が反映されるのか、という事である。空中からの落下の夢は現実の不安の反映、とか何とか言われるが、もはやそれを阻止する方法を体得してしまったという事は、現実の不安はいくらでも乗り越えられる用意が整った事になるのだ。万歳!もはや恐れるものは何もない。という訳で、次回の夢にもこの技術を継承できるよう記憶を強化するために、わざわざこんなところに書いているのだ。
3日 ![[id]](/img/id.png)
いつの間にかカレー星人になってしまっていたらしい。街を歩いていても、新しいカレー屋を見付けると思わず入りたくなってしまう。以前は別段カレー好きという訳ではなかったのに。理由のひとつには、最近になって街の散策が趣味になった事が挙げられる。休日になると家の近くの下北沢や渋谷、平日は大学の近くの自由ヶ丘をさまよう。どちらの街も小さい店が沢山あるので、開拓には時間がかかる。どの店に入ろうかなと迷ううちに、「とりあえずカレー」という意識が働き、まずはカレー屋の開拓に着手した訳だ。
さて、そんな経緯があって自由ヶ丘のカレー屋はかなりチェックしている。先日発売の「Hanako」は自由ヶ丘特集だったので、開拓の参考にと購入したのだが、よく知っている店があまり載っていなくて、残念がるべきか、喜ぶべきか悩んでいたところに、「サンガワ」の紹介記事を見付けた。「サンガワ」は自由ヶ丘に数あるカレー屋の中でもかなり本格的でおいしい部類に入る店なのだが、店の造りはごくごく庶民的でかつ狭い。しかし、Hanako の紹介記事についている写真を見てびっくり。そこそこ広くて内装も情緒ある、(Hanako的に)オシャレな店に変貌しているのだ。この“Hanakoマジック”、かつて下北沢特集の折にも存分に発揮されていた。 Hanakoマジックの基本は暖色系の色調と絶妙なトリミング。是非参考にしたい。
4日 ![[id]](/img/id.png)
昨日にひきつづきカレーの話。漫画家の東海林さだお氏は名文章家でもあり、数々の名エッセイをものしておられる。中でも最高傑作は『ショージ君の青春記』であろう。その中で、一人暮しをはじめたショージ君がさっそく自分の部屋でカレーを作るシーンがある。そのカレーは、ショージ君の長年の夢であった、肉をいっぱい入れた肉だらけカレー。豚コマを500グラム入れた鍋で煮込むうちに高揚してきたショージ君は即興で歌い出してしまう。その歌が「肉だらけのカレーを讃える歌」。ちょっと引用してみよう。
ああ、肉だらけのカレー!
汁の中に肉があるのではなく
肉のすき間に汁があるカレー!
カレー汁の表面が平らではなく
肉のために激しいデコボコのあるカレー!
掘れども掘れども肉また肉のカレー!
(後略)
思えば確かに、これまで食べてきたカレーは肉が少なかった。「肉が多いとバランスを損う」などとスカしたような事を言ってはいけない。カレーの中の肉の量こそがステイタスであり、カレーに突っ込んだスプーンの上に肉が乗っているかいないかに一喜一憂できないで何が人間か。
そして先日、ついに僕は肉だらけのカレーを食べた。場所は自宅から歩いて五分程のカレーの店「ゴッホ」。何を食べようかなとメニューを眺める目に飛び込んできたのが「肉いっぱいカレー」という文字であった。僕は操られるようにしてその「肉いっぱいカレー」を、大盛りで、食べた。うまかった。嬉しかった。最初から最後まで、スプーンには肉がのっかった状態でカレーを食す事ができたのだ。幼少の頃のお子様カレーに始まって、小学校の給食を経て今に至るまで、一度も経験した事のないこの愉悦、この高揚感。チルチルミチルではないが、幸せはこんな近くにあったのだなぁ。
6日 ![[id]](/img/id.png)
松岡研日記戦線では以前から「〜チェック」が大流行。よくもまぁいろいろ見付けてくるもんだと感心していたのだが、今回は一歩先んじる事に成功した。それは「語彙数推定テスト」である。僕の結果は57171語。この数がどれくらい信憑性があって、どういう意味を持つのかまるで分らんが、中型国語辞典の8割ぐらいに相当すると考えるとちょっと多過ぎるような気もする。
さて、明日からUIST99に参加するため、12日まで渡米します。行き先はノースカロライナ州アッシュビル。となれば当然おやつに「ノースキャロライナ」を買っていこうと思ったんだけど、売ってないんだよねー。
7日 ![[id]](/img/id.png)
アッシュビルとの時差は14時間、成田を発つのが午後六時。これをうまく調整するためには、飛行機に乗るぎりぎりまで寝ているのが良いという事になる。となると今日は限界まで夜更しするしかない。という訳で今は徹夜中。始めのうちは研究用に作っているシステムのコーディングをしていられたのだが、夜も更けてきて物事を考えられなくなってきたところでゲームやりっぱなしモードに切り替えた。まずはやっとこさカルドセプトで全てのカードを揃えた。いやぁ長かった。修論の修羅場前に揃える事ができてよかったよかった。次に、幻想水滸伝IIでジョウイ・ナナミ入りパーティでラスボスを倒す。これは思った程時間がかからなかった。それにしても眠い。いよいよネタも尽きてきた。
何がつらいかといって、目的のない徹夜ほどつらいものはない。これが試験前であるとか、ゲームのクリアを目指しているとかであればともかく、今はただ単に遅くまで起きている事のみが目的なのである。「あと2問解いてから寝よう」とか「このクエストを終えたら今日はあきらめよう」といった課題を設けて、それに向けて最後の集中力を振り絞るといった、展開の起伏もない。ただ「あと二時間は起きていよう」という目標しかないのだ。意味のある目標がないから、ひたすら思考力が低下していく。こうしてこの文章を書いている間も思考はとぎれがちで、同じ事を十秒考え続ける事すらできない。もう駄目だ。何も考えていないから何も書けない。「何も考えていない」という事以外は何も書けない。
8日 ![[id]](/img/id.png)
今日から五日連続で、UIST'99日記を書く。行きの飛行機では「Wild Wild West」が上映された。これは素晴しい。オープニング(タイトル)の出来は大変なもので、ここ数年の映画の中では群を抜いている。内容は西部劇+スチームパンクとでも言うべきもので、限りなく荒唐無稽だが、それを喜べる人なら文句なしに楽しめる。こういうのを実写でやられてしまうと、もはや日本のアニメなんてまったく立場がない。
飛行機を乗り換えてアッシュビルに到着した頃にはもはやあたりは真暗で、あたりの様子はまったくわからない。レセプションの後は部屋に落ち着いて、すぐ寝てしまった。翌朝。まだ疲れが抜けないままの体を起して窓の外を見た瞬間、これまでの気だるい雰囲気が一気に吹き飛んだ。美しい。秋の山特有の、霧にむせぶ紅葉の見事な色調。全米で最も美しいと謳われるアッシュビルの紅葉は、日光や奥多摩にも負けない、素晴しいものであった。導かれるように外に出て、しばしの散歩を楽しむ。家の建て様や街路樹の選択等を見ると、あきらかに秋の紅葉を意識した景観造りをしているのがわかる。それは街中とて同じで、全米で最も住み良い街だと言われるのもうなずける。
なお、セッションが終了した後猛烈に眠くなってしまい、デモセッションを寝飛ばして連続14時間寝てしまった事など、今となってはどうでも良い事である。
9日 ![[id]](/img/id.png)
久しぶりに腕時計を着けている。普段は携帯電話の表示を見て時間を知るのだが、いちいち米東部時間に合わせて日本に着いたら戻すのも面倒なので、腕時計を引っ張り出してきたのだ。が、慣れない腕時計の重さと、バンドが長すぎてやたらと手の甲にぶつかるためしきりと気になってしまい、頻繁に時計を眺める癖がついてしまった。
夜はお土産用に、クリスマスの飾りをしこたま買う。去年のUISTでもやはりクリスマスものをお土産にしていて、やっぱり本場ものは違うね、とか書こうと思ったのだが、事実はそう単純ではなかった。去年のUISTで購入した、サンフランシスコ名物・ケーブルカーをモチーフにした飾りは、これは絶対他所には無いだろうという自信の元に購入したのだったが、やはり同じ考察の元に同じものを買った椎尾さんの話によると、椎尾さんの奥様が寸分違わぬものを地元のスーパーで発見したのである。その話を聞いてしまうと、店内のどの商品を見ても、これは日本でも売ってそうだな、などと考えてしまう。結局、珍しさよりも出来の良さを優先して選ぶ事になり、かえってその方が喜ばれたりするのかもしれない。
10日 ![[id]](/img/id.png)
6時頃に目が覚めたので、起き出して早朝の散歩に出掛けた。まだ朝靄のたちこめる中を歩いていると、あちこちでカサカサと音がしたり、時折頭上から落葉や枯れ枝が振ってきたりする。しばらくはわからなかったのだが、突然目の前を横切った奴を見て了解した。栗鼠である。一度気がついてしまうと、実にあちこちに栗鼠が徘徊しているのがわかる。本当にわんさかといるのだ。おっと、目の前の道路の上で寝ている奴までいる、と思ったら栗鼠の轢死体だった。道端まで引きずって落葉の中に埋め、冥福を祈る。
11日 ![[id]](/img/id.png)
学会も今日で終わり。アッシュビルとも明日でお別れである。学会が終った後はダウンタウンの方へ降りていく道を歩き回った。住宅地に入ってもまだあちこちで栗鼠が徘徊しているのがわかる。それだけ樹木が多いのだ。それもほとんどが見事な紅葉を付ける落葉樹。だからして、落葉の量たるやハンパではない。もはや熊手でカサカサ掻き集めるのではおっつかないようで、みんなブロワーを使っている。集めた落葉はどうするのだろうか。大気汚染に敏感なアメリカでは焚火はできないだろうに。
夜はホテルのテラスで、日本人研究者同士で会食。みんなアメリカの食べ物にケチをつけるのが好きだねぇ。あまり文句のない僕が味オンチのようである。食事が済むと例によって馬鹿話に突入。この馬鹿話のエネルギーは本当にすさまじい。これは普段の研究の原動力なのか、普段発揮できない情熱をこの時ばかりとつぎ込んでいるのか。そういえば、日本人以外の研究者とこうした馬鹿話を交した経験がない。そもそもこちらにこうした馬鹿話をリアルタイムに英語で交す能力がないとも言える。少し訓練せねば。って、どうやって?
12日 ![[id]](/img/id.png)
アトランタ行きの飛行機から眺めたアッシュビルの景観は、胸をうつ美しさだった。真赤に焼けた山々。川面を覆うようにたちこめる靄。点在する白い家。高度が上るにつれ、細かい部分は判別できなくなり、ただひたすら赤い、赤い光が目を焦がす。空は青く、地は赤い。二色の対比。
13日 ![[id]](/img/id.png)
ひたすら闇の中である。
14日 ![[id]](/img/id.png)
風邪をひいたか、体調が思わしくない。面白い事に、今こうやってアッシュビル記を整理しているうちに飛行機に乗っていた感覚が蘇えってきて、微妙に体が揺れているような錯覚がする。こうした感覚も随伴記憶の一形態なのだろうか。そうだとすると、重力感覚というのも人間の主要な感覚の一つに加えてもよいかもしれない。視・聴・味・嗅・触+重力。こう考えてみると、重力感覚がこれまで加わっていなかったのは重大な欠落に思える。おや、だんだん揺れが激しくなってきた。最大15度ぐらいは傾くようだ。え、風邪のせいだって?
15日 ![[id]](/img/id.png)
「聞くは一時の恥、聞かれるは一生の恥」
16日 ![[id]](/img/id.png)
沈黙の金、雄弁の銀〜某双子の老姉妹
久しぶりにMacを触る羽目に陥いる。普段Windows恐怖症に悩む僕にとって、 Macのシステム設計はやはり恐怖を喚起するものでしかなかったが、それでもWindowsのそれよりかはまだ理解可能であった、ような気がする。
17日 ![[id]](/img/id.png)
僕はよく風邪をひく。それはもうしょっちゅうひく。お陰で風邪というものにだいぶ慣れてしまい、風邪を直すのが上手になってしまった。二日以上風邪でダウンするという事がない。風邪に代表される「体調不良」の直し方は二通りある。ひとつは「元気な時はたんと食え、病気の時はもっと食え(月森家々訓)」式の、栄養をつける事で乗り切るやり方だが、もうひとつ、「喰わない」という選択がある。はっきりとした裏付けがある訳ではないが、意外と効果的に働く場合がある。一説には、消化器の負担を軽減し体力の消耗を防ぐ効果があるとも言われているらしい。どちらを選択するかは未だ確とした指針がない。食欲のあるなしはあまり関係ないように思える。療法の確立を目指し、今日も僕は風邪をひく。
18日 ![[id]](/img/id.png)
自分が以前に出した電子メール500通近くを読み返すという、実に阿呆な事に時間を費してしまった。時間の使い方としては確かに阿呆だが、ここ半年ぐらいの自分の活動を思い返したりして、なかなか楽しめる。大晦日に、一年を振り返る行事として今年出したメールを読み返してみるというのもよいかもしれない。
19日 ![[id]](/img/id.png)
大学の近所の「しなの」というそば屋は、ここら一帯では比較的人気の高い飯屋である。この店の夕食時における店員の布陣は最近、厨房の前に、前髪をジャリン子チエのように結んでいるおばさんが待機し、カタコトの日本語を話す女の店員が実際に注文をとったり給仕したりする、という形態になっている。このカタコトは客の注文を聞き取れなかったり手際があまり良くなかったりで、店員としてはあまり評価は高くないのだが、それでも懸命に頑張っているし、なんとなく好感が持てる物腰もあいまって、決して支持率は低くない。
ところが、件の厨房の前で待機しているチエ似のおばさんが大変悪辣で、ちょっとでもカタコトの対応が遅れたりすると容赦なく小言をぶつけるのである。厨房の前に来て注文を読み上げても「何言ってるのかわかんない」などと諭したりするのだ。この「わかんない」の言い方がいかにもいやらしいというか悪辣極まりないのである。あるいは、カタコトが座敷に行っている間に、ビールを注いだグラスを脇に置いておく。カタコトが帰ってきて「あの、ビール…」とチエに告げると、チエは「そこに置いてあるでしょう」とあらぬ方を見やるのである。他にも、客の応対から帰ってきたカタコトに対して「ちゃんと片付けなきゃだめじゃない」となじる。今まで厨房の前に陣取って何をしていた訳でもないチエが、である。
こうしたやりとりが続くうちに、カタコトの、チエへの対応が明らかに弱くなってきた。チエに対してほとんど言葉が出なくなってきたのである。客に御飯のおかわりを頼まれて茶碗を持ってきても、オドオドした様子で茶碗を差し出すぐらいで、いっかな言葉を発しようとしない。カタコトはチエと何らかの言葉を交すのがもはや嫌なのだ。が、そんなカタコトに対してチエは「茶碗を出すだけじゃわからないじゃない。何なの」と、これまた聞いた人にしかわかってもらえないであろう、実に不愉快な物言いでカタコトを非難するのである。
僕は別にカタコトの肩を持つ訳ではない。夕食を食べるのに何でこんな不愉快なチエの雑言を聞かねばならないのか、という点に我慢がならないのだ。この状況を何とかしたい。とりあえずはチエを黙らせたい。しなので食事をする機会のある東工大生及び大岡山の人々よ、このままチエの横暴を許し、カタコトの不遇を見過ごす事はできない。「チエを黙らせようキャンペーン」を展開しようではないか。何なら署名を集めてもよい。店の前に看板を立ててやろうかとも考えている (キャンペーンの内容については松岡さん出張宙において相談するつもりだ)。ただしボイコットはいけない。そうして客が減ったら、チエがカタコトに対して「あんたのせいで客が減った」と言うに決まっているからである。
20日 ![[id]](/img/id.png)
いつか書こうそのうち書こうと思っていたネタをいよいよ書く。家の近くの古本屋は、別にどうという程特別な点はなく、よくある町の古本屋でしかない。が、店の前に100円均一の棚があるので、僕は通りがかると必ず新入荷の本をチェックしている。なにせ駅までの道の途中にあるので、この棚は中学生の頃からほぼ毎日見てきている。
長いことこの棚をチェックしているうちに、ある傾向の本がまとめてこの棚に入る事が度々ある事に気がついた。古くはアニメパロディの類で、アウトやファンロードに絡んだ単行本がよく並んだ。その後、アイドル(ジャニーズ系等)関係であるとか、ゲーム攻略本であればファイヤーエンブレムやロックマン、漫画だと新書館や桜桃書房あたり、そしてアンソロジーもの等が時折まとめてこの棚に入るのである。わかる人にはわかるだろう、この筋の通ったラインナップが。
これらの本を売りに来た人に、僕は一度も遭遇した事がない。従ってこれらの本が同一人物の所有物だったという根拠はないのであるが、何となく元は一人の人間の蔵書であったように思えてならない。一体どんな人なのであろうか、別に会いたいという程ではないのだが、彼女(すでに女と断定)が「GO!WEST」を古本屋に売ってくれたお陰で、僕は巣田祐里子の漫画にハマる事になったという縁もあるので、一度ぐらいは見てみたいなぁと思っている。
そして先日、ちょっと驚いた事に、件の100円均一の棚に数冊の同人誌が並んでいたのである。内容から察するにやはり彼女が売ったものであろう。 100円の値がつけられるだけあって実に多彩な(言い換えれば妙な)本が並ぶ棚にあってもこれらの同人誌はひときわ異彩を放っている。買った古本屋も古本屋だが、これはやはり売った彼女のルール違反のような気がしてならない。
21日 ![[id]](/img/id.png)
夜中に唐突にお汁粉が食べたくなった。下北沢にうまい汁粉を出す甘味処があるのだが、さすがにこんな時間には開いていない。しょうがないので、モスバーガーへ行く。期間限定新メニュー「カレーチキンフォカッチャ」があったのでついでにそれも頼む。うまい。これはなかなかのヒットだ。期間限定と言わず、定番メニューにしてもいいくらいだと思う。
隣の席のゲージツ君の話を盗み聴きしているうちに、似たような話を思い出したのでそれを書く。大学一年の頃だったと思う。きっかけは以前から読んでおこうと思っていた、寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」の文庫本を買った事だった。僕にとって寺山に関するものに接するのはこれがほぼ初めてだった。そしてその日からしばらくの間、僕の身のまわりには寺山に関係する事象がたて続けに発生したのだった。
当時僕は大学の図書館でブラブラするのを日課としてたのだが、その日美術本のコーナーで目に留まったのが、寺山修司の芝居の舞台美術を題材とした本だった。理工系大学の図書館で、それも棚一つ分ぐらいしかない美術のコーナーに寺山の本があった、それだけでちょっと不思議な思いがした。そして数日後。かねてから読みたいと思っていた漫画が文庫本になったのでそれを買ったのだが、読み終えて、解説のページを見てびっくりした。寺山が書いていた (これだけで僕が何を買ったかわかる方もおられるだろう。「風と木の詩」である)。そのすぐ後だった。中学・高校の頃の音楽の教師で、その只ならぬ感性・雰囲気から一部のヒネクレ系学生に一目置かれており、親交の深かったNという人物が山海塾の関係者であるという事を友人から知らされたのは。とどめは寺山の家に遊びに行った事があるという友人の登場。
まぁ、これらは別に超自然現象に説明を求めるまでもなく、単に今まで寺山の名前が特に気にならなかっただけであり、あるいは友人と話している時に無意識に寺山に関する話題に水を向けていたという事なのであろう。それでも、これだけたて続けに発生すると、何となく不思議なつながりを信じたくなる。このまま事態がエスカレートしていくとどうなるのだろうと楽しみにしていたのだが、その後寺山つながりは絶えたのだった。
22日 ![[id]](/img/id.png)
話題のライフスペースのページを見ていたら、FAQのページにグルの“定説”が掲載されていた。この中で「クローンについて」という項目で、「クローン人間というのは、作り得ないぞ。」「牛乳から乳牛をつくり出すなど、あり得ないぞ」というのがある。まるで点取り占いのような物言いに爆笑。「クローン人間というのは、作り得ないぞ。2点」
23日 ![[id]](/img/id.png)
とうとう修士研究の為の実験設備構築に着手。長年培ってきた「できるかな」的工作技術のお陰で、金も手間もたいしてかけずに何とかできあがった。が、廃材利用と場当り的クイックハックによってデッチあげられたそれは何とも見た目がみすぼらしく、写真は撮ったものの、こんなの論文に載せたくないなぁという感じである。
24日 ![[id]](/img/id.png)
BOSEの最新(?)1unitスピーカーシステムの話とか点取り占いとか、ネタになりそうな話はいくつかあるのだけど、ちょっと元気が出ないのです。ぐすん。
などと書いている割には、夜中に「日曜研究家」の古い号など取り出して読み耽っていたりして。誰彼かまわず自慢しているので知っている人もそこそこいると思うが、僕が生涯で初めて引いた点取り占いは「君にはかなわない○9点」。お守りだと思って今でも財布に入れて持ち歩いている。
25日 ![[id]](/img/id.png)
あだ名の多くは姓や名を略したものである。僕も小学生の頃は「フクちゃん」と呼ばれる事が多かった(もちろんあの角帽と前かけ姿の「フクちゃん」の影響である)。が、僕の事を「ケンタ」と呼んだ人間はこれまでに一人もいないし、思いつきもしなかった。それだけに今日のできごとは虚を突かれた思いである。
ところで、僕の中学生時代からのあだ名である「つめ」の由来は、もはや僕にとってのFAQ(よく聞かれる質問。Frequently Asked Questionの略)なのだが、たいした由来でもないため、説明に要する労力の割には反応が芳しくないので、最近では教えないようにしている。
あだ名と言えば、やはり中学校や高校の教師につけられるあだ名が最も奇抜で面白い。僕が居た学校でも「テツ」「カツ」「コツ」や「トペ」「グレート中沢」など、説明に若干手間を要するようなあだ名が流布していた。多くは上の学年から伝えられたものであるが、その由来は時代背景を色濃く反映しているが故に年を経るに従って伝わりにくくなる一方である。それでも、学年に一人か二人は“語り部”役がいて毎年きちんと伝承されているからたいしたものだ。
26日 ![[id]](/img/id.png)
修論用実験設備構築のため、連日東急ハンズでお買物。そして毎日が「できるかな」状態。いや、洒落でなくて「実験、ほんとにできるかな〜?」なのである。とにかく、いろいろな障害を知恵と勇気と廃材で乗り切らねばならないのだ。そして実験が終われば今度は「論文書けるかな」が控えており、そして「卒業・進学できるかな」と、後番組が目白押しなのだ。
27日 ![[id]](/img/id.png)
いよいよネタが乏しくなってきて結局日記みたいになってきてしまった。何とか軌道修正を図らねば。
そういえばアッシュビルからの帰り、アトランタ→成田便の中で起きた事件についてまだ書いてなかったので、それを書く。その時僕は寝ていたのだが、何かざわざわした雰囲気のせいで目が覚めた。ふと傍らを見ると通路に人が寝かされており、周囲を普段着姿の人が二名・乗務員三名・野次馬数名が取り囲むように層を成している。救急セットを取り出している所を見ると、急病人が出たらしい。が、ちょっと不思議なのが、その普段着姿の人間の行動である。一人は病人の頭側でつきっきりなのだが、もう一人がやたらと周囲の人間と話をしているのである。かといって只の野次馬ではないようで、病状や処置内容について詳しく語っているようだ。いろいろと話を盗み聴きしているうちに、実はかなり異常な状況である事がわかってきた。
後になって前の方の座席に座っていた同行者に聞いた話では、まず機内放送で「お客様の中に医者の方はおられませんか」といった内容のアナウンスがあったらしい。これだけでも充分センセーショナルだがこの先がすごい。実は後部座席は医学関係の学会出席者で埋まっていたのである。そう、単なる野次馬のように見えた彼等、全員ホンモノの医者だったのだ。
僕は想像する。「お客様の中に医者の方はおられませんか」という機内放送の後に、ずらりと十数本の手が挙がる光景を…。
28日 ![[id]](/img/id.png)
カレーライス、あるいはライスカレーでもよいが、ちょっと気取った店では、米飯だけを皿に盛り、カレー本体を、アラジンのランプから蓋をはずしたような形状の容器に別に入れて運んできたりする。このランプの先端は注ぎ口のような加工が施され、また後部には取手がついている。従って、このカレーをライスと一緒に食べるためにはこの取手を持って、先端からカレーを皿上のライスに注ぐのかと思いきやそうではなく、ランプに付帯してきた、ひねくれたおたまのようなもので掬ってかけるのだという。結局おたまで掬うのであればこんな奇妙な形をした器でなくとも、鉢やポットに入れてくれば良いではないか。そもそもこの器、カレーを入れる以外にまったく転用が効かない。せいぜいがハヤシライスのハヤシ部分を入れるぐらいが関の山である。まったく非効率という他はない。
さて僕が言いたいのは、あのランプのような器、何と呼ぶのだろうか、という事である。そしてそもそもはどういう目的で開発された器なのだろうか。まさかカレーを、あるいはハヤシを入れる為に特別に開発された器なのだろうか。そしてあの形状には一体どんな意味があるのか。疑問は尽きない。御存知の方は是非御一報いただきたい。
29日 ![[id]](/img/id.png)
最近自分が猫好きであるという自覚が少し茅生えてきた。これまでは、積極的に猫が好きだ、というよりかはむしろ犬が嫌いな事の反動として猫の方がいくらかマシ、という程度の自覚しかなかったのである。ところで、「犬が嫌い」と言うと、ちょうどオバケのQ太郎のように、犬が視界に入ると思わず目をそむけ、近付かれれば震えだし、キャンと吠えられれば飛び上って逃げ出すように嫌いであるかのように思われがちだが、それは「犬が怖い」の間違い。僕は単に嫌いというか好きでないだけ。
それはともかく何で猫好きを自覚したかというと、TVで放映されていたオオヤマネコの映像を見て、たまらん気持ちになってしまったからである。オオヤマネコというぐらいだからとても大きく、体長は1mをゆうに超える程もある。一日に肉を1キロたいらげるというからに、その辺の猫からはかけ離れた迫力があるのだが、それでもなにやら愛しい感情を喚起されてしまったのだ。が、今になって思い出したのだが、畑正憲の本の一節に「(肉類で)一番うまいのはヤマネコの刺身だ」という記述がある。それは畑氏が旧満州に住んでいた頃の話で、そのあたりでは昔からヤマネコを食べる習慣があったらしい。その味についてはあまり詳しい記述はないので想像に頼るしかないが、哺乳動物の刺身はたいていうまいし、あのしなやか動きを紡ぎ出す肉づきは相当な美味を連想させる。ああ、一度でいいから食べてみたい。そんな事を考えていると、果して自分は本当に猫好きなのかしらん、という疑問も湧いてくる。
30日 ![[id]](/img/id.png)
「松岡さん出張宙」にて、現在までに十数名の名前が確認されている。勝手な名前を使っていいというシステムなので、それはもうみんな好き勝手な名前を使っているのだが、その正体がわかっているのはほんの一部。かといってまったく見ず知らずの人ではないらしいので、気になる事この上ない。いったい誰が誰なのやら。いやいや、もしかしたら僕以外は全部(お)さんが変名を使って一人で書いているという事だってあり得る。
ペンネームとかハンドルネームとかIDとか、ネット上で使う変名の事を指す言葉はいろいろある。ペンネームはともかくとして、ハンドルとIDは転用というよりかは誤用に近い気もするが、そんな事はネットでは日常茶飯なのでとやかく言わない。僕が使う事がある変名「Fookuchi」と「oltio」は、前者は本名の変形で、始めはNetHackのキャラクター名として使用していたもの。後者は研究室のマシンにも付けた名前だが、「Solution」から「Sun」を除いた残りである。これは当時Sunが流していたTVCMで、Solutionという文字列からSunを抜き出すものがあって、その残りを拝借したものだ。今ならreaceとでもなるだろう。こんな所ででもないと書けない極小ネタでした。