2004年3月の小ネタ
3日
ゲイングランドの攻略情報を求める声が多いので、ゲイングランドのページを新設しました。攻略情報はとりあえず2-10まで載せてありますので、参照してください。
5日
とあるお仕事の関係で、生 Valentino Rossi を目撃。瓢々として不思議なキャラクターでした。 ゲストで所ジョージが来ていてのだが、年とったね〜。言うことも面白くないし。 もっとも彼の場合、もうTVタレントとして笑いをとることは要求されていなくて、 そこに所ジョージがいる、という雰囲気の演出のために必要とされているような気がする。 本人も、以前ほど人を笑わせようとはもう思っていないだろう。
6日
指輪物語「王の帰還」観賞。たしかに上映時間が長〜い。けど、後半の展開を実にうまくまとめたものだ。 しかし最後の×××のシーン、あの日本語字幕だと何故フロドがああいう行動をとったのか、 わかりにくいんじゃないかなぁ。元のセリフではちゃんと "It's not for me" って言っているから推察できるのだが。
7日
ゲイングランドの攻略情報を4-10まで書き終えた。PS2版もクリア。
9日
OpenOffice.org で、GUIの文字を大きくする方法: [Tools]>[Options]>[OpenOffice.org]>[View]で、 Scaleを上げる。これで手元のノートでも使いやすくなったぞ。後はビデオの再生がうまく動けばいいのだが。
12日
「はてな: 第五問」@新宿 Loft に EffecTV で参加。 今回はまだリリースしていない "OpTV" というイフェクトをメインに据えることだけは決まっていたのだが、 例によって事前に特に打ち合わせもなく、音:MASA・ダンス:KIK_07・VJ:KLOMA・Effect:EffecTV、という構成でぶっつけ本番。 いったいどうなるやら、とのんびり構えていたら…
大変だ!! 何かが産まれた!!
とんでもない事が起きてしまいました。目の前で、自分の手の中で、 新しいものが出来てしまった。こういう時、普通なら「やった!!」とかなんとか、 そういった反応になりそうなものですが、今回のそれはむしろ「どどどどうしよう?」でした。 ほんと、やっている方も手は動かしながら、口はポカーンでした。さてほんとどうしよう?
22日
asahi.com の記事より:
ザ・ドリフターズのリーダーで俳優としても活躍したいかりや長介さん(享年72)の死去から一夜明けた21日、ドリフのメンバーがそれぞれコントを発表した。
「ん?」と一瞬目をパチクリして読み直したら、「コメントを発表した。」だった。 残念、コントを発表した方が楽しかったのに。
24日
「共感覚」という言葉がある。例えば、ある言葉を聞くか読むかすると、 それに対応した色や音の感覚を生じるという現象を指すもので、 すごい例になると数字の一つ一つに色や音を感じる人もいるのだという。 詳しい説明は Wired の記事などをあたっていただくとして、今日、 腹を下して寝込んでいる間に昨年急性膵炎で入院していた時の経験をふと思い出し、 もしかして共感覚に関係するだろうか、と思い当たった。
医者に診察を受けているときに、「痛みますか?」「痛みます」「どういう風に痛みますか?」 という応答になったとき、この痛みをどう説明すればいいか、悩むことが多い。 「シクシク」とか「キリキリ」といった擬音がよく使われるのだが、 そもそもどういう痛みが「シクシク」なのか、共通の理解があるのかどうか疑わしい。 これが外傷であれば、「キリを刺すような」とか「蚊10匹分ぐらいの」とか、わりとイメージしやすいのだが、 こと内臓の痛みとなると、「滑って転んで胃壁をすりむいたら、こんな感じじゃないですかねぇ」などと、 ほとほと頼りない。
で、僕の場合、痛みの感覚を人に伝えようとするときに自分が一番イメージしやすいのが、 音の感覚なのだ。音といっても、先程の擬音で表わされるようなものよりかは、 正弦波とかノコギリ波とか矩形波とか、音の波形のイメージの方が強い。 例えば先日の膵炎の痛みや発熱は正弦波だ。虫歯の痛みも、1600Hz ぐらいの高音域の正弦波。 ただし 2-3Hz 程度の LFO がかかっている。筋肉痛は三角波で、肩コリは矩形波のようなイメージ。
こうした感覚は、もちろん頭の中の勝手なイメージという見方もあるだろうし、共感覚の一形態かもしれない。 が、それらよりも楽しい考え方として、神経中を伝わる痛覚信号が、実はそういう波形をしているのだというのはどうだろう。 神経を伝わる信号を取り出してオシロスコープで見たら、連想したのと同じような波形が出てきたら、 これは面白い。さらにそれをスピーカーにつないで本当に音に変換できたら最高だ。 いろんな痛みを抱える患者達でオーケストラを構成して、「内科・神経外科交響楽団による『悲愴』」 なんて演目はどうだろう。「リューマチのパートのあの人は、雨の日の演奏が凄い」なんてことになったりして。
26日
六本木ヒルズの回転ドアの面白い特徴についていつかちゃんと調べてここで書こうと思っていたら、 6歳児が挟まれて死亡するという事故が起きてしまった。これについてはまたの機会に。
ところで、回転ドアそのものが、どういう必要性があって設置されているのか、 意外と知らない人が多いというか、僕自身つい数年前にハタと気がつくまでまるでわかっていなかったのだが、 あれは建物内に外から風が吹き込まないようにするための工夫なんですね。 てっきり、人の流れを強制的に右側あるいは左側通行にするためのものだと思っていました。
28日
結局回転ドアの話の続きなんですが、回転ドアの持つ機能は、 昨日書いた「外から風が吹き込まないようにするための工夫」というのでは足りなくて、 「空気の移動を最小限にする」かつ「気圧差または風圧でドアの開閉が重くなるのを解消する」となる。 もっとも、この2点は結局のところ同じ事を違う観点から記述しているに過ぎないのだが。
やはり六本木ヒルズの事件以降、「そもそもなぜ回転ドアが必要か?」という疑問を持つ人が多いようで、 Google で引くと日記・ブログなどでのコメントが結構目につく。 「回転ドアは危険なのに何故設置するのか」と、ビル管理者と警察と国を一通り叩いて満足、 というのが大方の反応のようだ。この手の表現手段を持たない人だと、新聞の読者欄に投稿するか、 森ビルに罵倒電話をかけていたりするのだろう。
ところで、昨日の小ネタで「人の流れを強制的に右側あるいは左側通行にする」と書いたのだが、 考えてみるとほとんどの回転ドアは反時計回り、つまり右側通行のような気がする。 多分、手で押して回す際に右利きに有利なのが右側通行だからなのだろう。 ただ、観音開きのスウィングドアを押して通行する場合は、 同じ理屈で行けば左側のドアを押す方が楽だということになるのだが、これも多分右側通行の傾向があるように思う。 これの理屈を考えるに、スウィングドアは自分が通り抜けるまで開け続けなければならないという制約が加わるため、 ドアを右腕(利き腕)で支えながら通行できる右側のドアの方が楽だという判断があるためではないか。
29日
研究室の歓送会。とうとう送られる側になってしまった。数えれば7年間松岡研にいた訳だが、 ここ2年ほどは、研究室にはほとんど顔を出さない幽霊学生であった。そのため自分の机は物置扱いになっており、 自分の荷物を選り分けるだけでも一苦労。1日では片付けが終わらなかった。
その歓送会の席で回転ドア問題について議論。回転ドアに代わる手法を皆でいろいろ検討したのだが、 決め手となる方法がどうしても思いつかない。自動ドアを二重化し、 かつ片方が開いている間はもう片方を必ず閉じるエアロック方式は、どう考えても大量の通行人をさばけないし、 片方を閉じる際に結局似たような問題が起きる。
他に出た案は、高層ビルではエレベータの扉で外気遮断が可能なので、 外との出入口がある階は空調を諦めて吹きっさらしにする、というもの。 あるいはビル外壁部分にいきなりエレベータの出入口。駄目かなぁ。