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「六味」における「淡」はどんな味なのか

前エッセイ「『禅とオートバイ修理技術』と『典座教訓』が教える、仕事への取り組み方」で、日本に曹洞宗を広めた道元の記した『典座教訓』という、禅寺での料理係の心得を説いた書籍について紹介した。

同書では、修行に励む僧達に味のととのった質のよい食事を提供すべく、隅々まで気を配り注意を怠らず料理せよと説く。そうすることで、「自然に三徳円満し、六味つぶさに備わらん」という。ここで「三徳」は調理のされ方がよいこと、「六味」は6種の味覚を指す。その六味は『典座教訓』には具体的に書かれておらず、道元が依拠した『禅苑清規ぜんねんしんぎ』にも明確な記述はない。

前掲書の注釈ではこの六味は「酸・苦・辛・鹹(塩からさ)・甘・淡」であると解説されている1。これらのうち、「酸・苦・辛・鹹・甘」は、現代の我々にも通じる、ごく基本的な味覚である。しかし残る一つの「淡」とは、いったいどのような味なのだろうか

もちろん、薄味のことなんじゃないかとは誰もが最初に思うことだろう。最古の漢字字典『説文解字』にも「薄き味なり」と書かれている2。あるいはまた、薄味にすることで素材本来の味を引き出すような調理を指すのではないか、とも思える。ネットで調べたり生成AI に調べさせると、だいたいそのような解釈がなされている。まぁ、常識的にはそう考えるのが妥当だろう。

しかし、世間での捉えられ方が第一感に合っていれば合っているほど、「ほんとかな?」と考えるのが、考証を趣味とする者の習い性となっている。仮にそのような味であるとしても、であればそれは味の濃淡であり、先の五味と並べるような、独立した味覚とはならないだろう。ではなぜ禅宗ではそれを含めて「六味」としたのだろうか。そのような疑問が自然と湧いてくる。

それでは、と軽い気持ちで調べ始めたのだが、いざ手をつけてみると様々な伝統・文化・宗教の絡みあったものであり、どこまで調べてもわかった気がしない。専門書や論文、果てはチベット語の経典にまで目を通し、これ以上は素人調べではどうにもならない、というところまでは行き着いたように思うので、ひとまずここまでの結果をここに記し、識者の教えを乞うこととする。先にネタバラシをしておくと、現時点での結論は「よくわからない」でしかないのではあるが、そこに辿り着くまでの過程でいろいろと発見があったので、そこのところは面白がっていただけるのではないかと思う。

なお、今回の調査ではだいぶ AI の助けを借りた。といっても、お試しいただくとわかるが、「六味における『淡』とはどんな味か」と聞くだけでは掘り下げが浅いし、間違った情報も紛れこんでくる。なので AI への指示は細かく調整しつつ、常に原典を確認しながら調査を進めていく必要があった。この種の調査に AI を使った経験談を目にすることは少ないだろうから、どのように AI を使ったかについて、末尾に付録として書き添えておく。

中国仏教における「淡」

禅宗で説かれる六味の起源を探して、まずは仏教経典を調べていくと、大乗仏教の経典『大般だいはつ涅槃経』に辿り着く。

『大般涅槃経』は釈迦の最期の過程を伝える経典である。元はサンスクリット語で書かれたもので、中国に入ってきたのは5世紀頃とされる。漢訳には法顕による『大般泥洹経』と、曇無讖による『大般涅槃経』(北本)、慧嚴らによる校訂を経た『大般涅槃経』(南本)が知られる。またその他の翻訳としては、チベット語に訳されたものがあり、一つはサンスクリット語から訳されたもの、もう一つは漢訳(おそらくは曇無讖訳)から重訳されたものである。3 4

漢訳『大般涅槃経』の「六味」

さて、その『大般涅槃経』の中に、存在の真理(三相)を味覚に例えて説く場面がある。広く知られている曇無讖訳から見てみよう5

云何六味?說苦醋味、無常醎味、無我苦味、樂如甜味、我如辛味、常如淡味。
(六味とは何か? 苦は酢の味、無常は塩の味、無我は苦い味、楽は甘い味、我は辛い味、常は淡い味である。)

これら六つの相のうち、前半の三相(苦・無常・無我)は我々が住む世界の性質を表している。後半の三つ(楽・我6・常)はそれぞれ前半の三相の反転であり、これらは涅槃、すなわち悟りを得た境地の性質である。それぞれの性質には味が割り当てられており、淡味に相当する性質は「常」である

「常」の意味を理解するには、その反対の「無常」を考えると分かりやすい。この世のものはすべて永遠にとどまるということがなく、常に変化し続け、必ず滅する、というのが仏教の説く「(諸行)無常」である。その反対の「常」は、不変不動、永遠不滅の性質を意味すると考えればよい。

ということで淡味は「常」を感じさせるような味なのかというと、これがそうとも限らないようだ。というのも、この対応は実は他の訳では異なっているからだ。法顕訳を見てみよう。7

以苦酢味,無常醎味,非我苦味,悅樂甜味,吾我淡味,常法辛味
(苦は酢の味、無常は塩の味、非我は苦い味、悦楽は甘い味、我は淡い味、常は辛い味である。)

なんと、辛味と淡味とが入れ替わっており、淡味に対応するのは「我」となっているのである

法顕訳のものは6巻からなり、曇無讖訳の40巻に比べるとかなり短い。曇無讖訳は訳者により大幅に内容が追加・拡張されていると考えられており8、どちらかというと法顕訳の方が元の内容に近いと考えてよさそうだ。

サンスクリット語版およびチベット語訳『大般涅槃経』の「六味」

それでは漢訳される前の『大般涅槃経』ではどうだろうか。

サンスクリット語で書かれた原典の題は “महापरिनिर्वाणसूत्र” (Mahāparinirvāṇasūtra) である。同じ釈迦入滅の場面を扱った上座部(小乗)版の同名の経典では、漢訳版にあった六味の喩えは、オンラインで読める英訳9を参照した限りでは含まれていないようだ。一方、大乗版の方は上座部版に比べると大幅に内容が増強されており、六味の喩えはこちらにのみ確認できる。この大乗版がチベット・中国へと伝わっていった。

チベット語訳は先述したように、サンスクリット語から直接訳されたものと、漢訳版から重訳されたものとが知られる。以下がネットで参照できた版である。

東北大学がまとめた目録では、デルゲ版のうち前者が 120番、後者が119番とされている。以降、直訳版を Toh 120、重訳版を Toh 119 と呼ぶ。成立年は Toh 120 の方が後なのだが、重訳版は漢訳版にある付け足しの内容がまぎれこんでいるため、直接訳された版の方が原典に近いものとして扱われる傾向がある10。ナルタン版は、校訂作業を経て編まれたデルゲ版と比べ、古いテキストの内容を残している場合があるとされる。

ではまず、より原典の姿を残していると思われる、サンスクリット語から直接訳された Toh 120 について、チベット文字をアルファベットに置き換えたものを以下に引用する。11

DE LA RO DRUG PO RNAMS GANG ZHE NA; SDUG BSNGAL GYI SKYUR DANG, MI RTAG PA’I LAN TSVA DANG, BDAG MED PA’I TSA BA DANG, BDE BA’I MNGAR BA DANG, BDAG YOD PA’I BSKA BA DANG, RTAG PA’I KHA BA RNAMS TE
(その六味とは何か。苦の酸味、無常の塩味、無我の辛味、楽の甘味、我の渋味、常の苦味である) (強調筆者)

なんと、「常」に苦味が、そして「無我」には辛味が対応しており、「我」に対応するのは渋味 (BSKA BA) となっていて、淡味は言及されていないのである。

次に漢訳からの重訳である Toh 119 を見てみよう。12

RO RNAM PA DRUG GANG ZHE NA, SDUG BSNGAL NI SKYUR BA’I RO LTA BU’O, ,MI RTAG PA NI LAN TSVA’I RO LTA BU’O, ,BDAG MED PA NI KHA BA’I RO LTA BU’O, ,BDE BA NI MNGAR BA’I RO LTA BU’O, ,BDAG NI TSA BA’I RO LTA BU’O, ,RTAG PA NI BSKA BA’I RO LTA BU’O
(その六味とは何か。苦は酸味のようなもの。無常は塩味のようなもの。無我は苦味のようなもの。楽は甘味のようなもの。我は辛味のようなもの。常は渋味のようなものである)

Toh 119 では渋味を除いた五味は内容も配列も曇無讖訳と同じであることから、参照されたのが曇無讖訳であることを窺わせる。

ナルタン版 (N107)13も確認してみたが、Toh 120 と同内容であった。

サンスクリット語版断片は、湯山によって翻刻および英訳が公開されている。以下引用する。14

What are the six flavours in that case? Suffering is sour, impermanence is salty, non-selfhood is pungent, happiness is sweet, selfhood is astringent, and permanence is bitter.
(その六味とは何か。苦は酸味、無常は塩味、無我は辛味、楽は甘味、我は渋味、常は苦味である)

サンスクリット原典では「渋味」は “kaṣāya” となっている。この言葉はサンスクリット語辞典によると様々な意味があるようだが15、英語では “astringent” と訳されることが多いようで、渋さや苦さに関連する味とされる。他には「濁った」「汚れた」といった意味もあるようだが、味と紐づけて理解するのは難しい。意外なところでは、日本語の「袈裟」の語源であるという説もある16。もともとの袈裟はぼろ切れを寄せ集めて作ったものだったことからそのように呼ばれたのだろう。

以上、各版における六味の対応を表にしたものを以下に示す。なお、いずれの版でも「苦・無常・無我・楽・我・常」の出現順は同じであった。

Sanskrit N 107 Toh 120 法顕訳 曇無讖訳 Toh 119
無常
無我

サンスクリット原典およびチベット語訳のうち、サンスクリット原典からの訳と考えられている N 107 および Toh 120 は六味の対応が同じであり、おそらくはこれらが原典の対応だとして、さしあたっては問題ないだろう。

漢訳では一部で味が入れ替わっている。法顕訳では「無我」と「常」とが入れ替えられ、曇無讖訳ではさらに「我」と「常」も入れ替えられているが、その原因はなんとも見当がつかない。そもそも、「苦」の酸味、「無常」の塩味、「楽」の甘味はすべての版で共通しているが、それらがどうしてその味になるのかすら、よくわからない。「楽」の甘味はまだしも、なぜ「無常」が塩味なのかはどうにもその真意を量りかねる。

が、それはともかく、さしあたってはサンスクリット語版の『涅槃経』の六味は「淡」ではなく「渋」が入っていることに注目しよう。

古代インドの「六味」

仏教の故郷である古代インドでは、「アユルヴェーダ」と呼ばれる、独特の医学が発達していた。アユルヴェーダの基本書として知られる “Charak Samhita” では、味の種類は以下の6種類とされている。17

このように、6番目の味に「渋」がある。未熟果やタンニンを含む食物に感じる味覚だそうで、口の中がすぼまるような感覚を引き起こすというから、現代の我々が知る渋味と同じと考えてよさそうだ。“Charak Samhita” における上記の記述がいつ頃成立したのか、確としたことは分からなかったが、元々インドでは「渋」を含むのが通例であった、と考えるのが自然であり、それが涅槃経における六味の説明に組み入れられたと見るべきだろう。

ただし、“Charak Samhita” には、味の分類手法は他にも多数あったことが書かれている。このことについては次節で取り上げる。

興味深いのは、Toh 119 は漢訳からの重訳であるにも関わらず、「常」に対応する味が「淡」ではなく、Toh 120 と同じ「渋」になっていることだ。曇無讖訳に忠実に訳せば「淡」に相当するチベット語が当てられるだろう。他の漢訳経典では六味の一つに「渋」をあてて訳しているものがある18ことも考え合わせると、「淡」が渋味を意味した可能性はさすがに考えにくい。おそらくは、重訳を担当したものが Toh 120 あるいは他のチベット語訳を参照し、修正したのだろう。

七味・八味における「淡」

さて、先に述べたように “Charak Samhita” では六味以外の分類が取り上げられている。同書では味の分類について、賢人が集まって議論する、という体裁で記述されており19。その末に師たる Ātreya が、味の分類は六味が正しいと裁定している。つまり、古代インドでは味の分類に諸説あり、いずれもそれなりに有力であったことがうかがえる。

その影響が垣間見える事例に、徳慧『隨相論』の以下の記述が挙げられる。

味有七種,謂甜、苦、辛、酢、醎、澁、灰汁味。澁者,如生査等。灰味,私謂只應是淡味耳。20
(味には、いわゆる甘味・苦味・辛味・酸味・塩味・渋味・灰汁味の7種がある。渋味は熟していない山査子の味のようなもの。灰[汁]味は、私が思うにこれはただ淡味ということであろう)

『隨相論』は『俱舎論』の注釈本で、元はサンスクリット語で書かれたものだが、それを漢訳した真諦によりさらに注が追加されたものと考えられている21。なお、『俱舎論』の方では「六味」として甜酢醎辛苦淡が紹介されているが、『涅槃経』のサンスクリット語原典やチベット語訳 (Toh120, N107) と同様、対応すると思われるチベット語訳では “BSKA BA” すなわち渋味が挙げられており22、漢訳ではそれが淡味に置き換えられている。

さて、七番目に挙げられている「灰汁味」だが、他に灰汁味を扱った文献は見当らず、これは『隨相論』にしか見られない記述である。灰汁味が加えられた理由は想像するしかないが、先程参照した “Charak Samhita” では味の分類についての様々な説が紹介されており、七味説では “kshara” が追加されていて、これはアルカリ性の味であると解釈されている。おそらくはこれを漢語に訳すときに「灰汁味」となったのだろう。ただ、どうして徳慧が七味説を取り上げたのかはわからない。23

灰汁味が加わった過程はともかくとして、ここで重視すべきは、それが淡味であると注釈されたことだ。いくらなんでも灰汁を淡味と解釈するのは無理がある。灰汁の味に近い味覚を挙げるとするならば苦味か渋味であろうが、どちらもすでに挙げられている。注釈者はおそらく、他の文献で六味に淡味が含まれるのを見て、そこに当てはめてみたのではないか。いずれにせよ、淡味と渋味は同一視できるようなものではないこと、また淡味の扱いは訳者や注釈者によって揺れ動く、解釈のはっきりした味ではないことがこの用例からも言えるだろう。

アルカリ味を「淡」とした事例をもう一つ見つけた。『阿含口解十二因緣經』には以下の「八味」が挙げられている。24

一切味不過八種:一者苦;二者澁;三者辛;四者醎;五者淡;六者甜;七者酢;八者不了了味。

「不了了味」は「よくわからない味」もしくは「はっきりしない味」と訳せる。これはおそらく、やはり “Charak Samhita” に紹介されている八味説に由来するのだろう。インドの八味説は、基本六味(甘・酸・塩・辛・苦・渋)に先程のアルカリ味 (kshara)と、さらに “avyakta” を加えたものである。この言葉は “unmanifested”、日本語でいえば「形になっていない」「顕在化していない」といった意味に解釈されている25。「不了了味」はこの “avyakta” の訳であろう。とすると、「淡」は “kshara” すなわちアルカリ味の訳であると考えるのが自然だ。

なぜ「渋」は「淡」になったのか

ここまで、漢訳経典における「六味」とその原典を探ってきた。おぼろげながら見えてきたのは、古代インドの「六味」に含まれる「渋」が、漢訳の過程では「淡」に置き換えられる傾向のあることだった。また、だからといって直ちに「淡」が「渋」と同一の味であるとは考えにくく、中国独自の解釈によって「渋」が「淡」に変化した、と捉えた方がよさそうであることもわかった。

ではなぜ「渋」が「淡」に置き換わったのか。これについては、いろいろと想像できはしてもこれといった裏付けを見つけられそうにはない。

もともと中国の土着思想であった五行思想では、渋味は「酸」に含まれるらしいので26中国に入ってくるときに「渋」が独立した味としての地位を保てなかった、という可能性はあるかもしれない。そして、それでもなお原典の「六」味を残そうとしたときに加えられたのが「淡」だった、とは考えられまいか。

もちろん、先に示した通り「渋」を取り入れて訳された例もあるので、確としたことは言えない。ただ、この作業仮説は、「淡」のみ他の五味と性質が異なる理由を説明できているように思う。というのも、中国思想では「淡」はまた特別な地位をもっているからだ。

という訳で、次は五行思想における「淡」について検討してみよう。

中国五行思想の「五味」と「淡」

老荘思想における「淡」

『老子』

老子 著, 蜂屋邦夫 訳(岩波書店, 2008)

味覚における「淡」の重視は、中国仏教だけの思想ではない。『老子』の第12章には、 「五色令人目盲、五音令人耳聾、五味令人口爽」の言葉がある。書き下すと

五色は人の目をして盲ならしむ。
五音は人の耳をして聾せしむ。
五味は人の口をしてたがわしむ。

要するに、色彩や音楽、美食を追い求めていると、かえって目や耳、口(舌)を鈍らせる、といったことを老子は主張している。五色・五音・五味はいずれも中国伝統の五行思想に基づくもので、五味は「酸・苦・辛・鹹・甘」からなるとされる。27

では理想の味はどのように語られているか。『老子』の第35章には以下のように書かれている。

道之出口、淡乎其無味。
(道の口に出づるは、淡乎たんことしてそれ味なし。)

老子の説く「タオ」は、雑に言えば究極の真理である。それを言葉にして説明しても、「淡」すなわち味がしない、とここでは述べられている。

味がしないのであれば存在する意味もないのか。『老子』第63章はそうではないと説く。

為無為、事無事、味無味。
(無為を為し、事無きを事とし、無味を味わう。)

老子は「無為自然」を掲げ、ものごとが究極の真理に沿って、水のように整然と流れていくのを最上とし、人為的に事を為そうとするのを咎めている。その真理の味は先に述べたように「無味」であるのだが、『老子』第41章に「大象無形」、すなわち無限に大きいものには形が無い、とあるのと同じで、中身が空虚だから味がしないのではなく、究極の真理はすべてを含むが故にかえって特徴的な味がない、という考えが根底にあるのだろう。その無限を味わうことが「無味を味わう」なのである —— と解釈してみたものの所詮素人の付け焼き刃なので、その是非はこの際脇に置いておく。ここで強調したいのは、老子のいう「淡」が、人為的な調味をせず、これといった味もしない、といったイメージで語られていることで、それは五味と対立する概念であり、五味に加えて六味とするような性質のものとは言い難い、ということを納得いただければよい。老子の思想を継いだ荘子の言葉に「君子の交わりは淡きこと水の如し」というのがあるが、これもまた、「淡」に味の薄さを見ていることが現われている。

宋代の「淡」

「淡」は中国美学における重要な概念であり続け、時代を通じてその価値が意識され続け、また変遷を続けていった28。時代によっては、もの足りなさを表わす表現にも使われたようだが29、宋代には欧陽脩や蘇軾(蘇東坡)らによる再解釈を経て、「淡」は味の無さ・乏しさをいうのではなく、あらゆる味を内包し、絢爛の極みを経た上で辿り着く枯れた境地を表すようになった。いわば、老子の「道」と同化していくのである。

中でも蘇軾は、豚肉を甘辛く煮込んだ「東坡肉」を発明しただか賞賛しただかで、その号(東坡居士とうばこじ)を料理名に残しているくらいの美食家だったのだが、詩を食に喩えて語ることが多かった30。枯れた味わいの詩を「淡」で表現することの多かった蘇軾は、このようなことを書いている。

所貴乎枯淡者、謂其外枯而中膏、似淡而實美。31
(「枯淡」が貴い理由は、その外見は枯れていても中にあぶらがのっており、淡いようで実は美しさがあることだ。)

そんな蘇軾が晩年、政争のあおりを受けて嶺南に流され、慣れぬ土地で貧困にあえぎ粗食に耐えていた時期に、次のような詩を残している。

事無事之事、百事治兮。味無味之味、五味備兮。32
(事なき事を事とすれば、百事治まる。味なき味を味わえば、五味備わる。)

「事なき事」「味なき味」という対比は、上で紹介した老子の言葉の引用であろう。強がりでないとすれば、粗食の中にも深い味わいのあることを、僻地での生活を通じて蘇軾はあらためて感じいったのではないか。

これらから考えるに宋代の「淡」は、特定の味覚を指すというよりかは、「味わう」という能動的な行為をも含む、と考えた方がよさそうだ。いっけん枯れた味であっても、それを深く味わうことで得られる味がある、という考え方が根底にあるのだろう。

大東文化大学の青木優子は以下のように指摘している。33

「特定された個別の味」を超えた味を感知すること。これが文人達の言う「淡」の美学であり、あらゆる味を含む中国的「無味」を味わうことで、究極の審美体験を目指したのである。

道元が中国を訪れたのは南宋の頃であるから、道元が学んだ「淡」は、あるいはこうした思想に影響を受けたものなのかもしれない。

『菜根譚』の「淡」

さて、こうした「淡」のイメージはその後の中国哲学にも引き継がれていく。洪自誠『菜根譚』には

醲肥辛甘は真味に非ず、真味は只是れ淡なり。

『菜根譚』

洪自誠 著, 中村璋八, 石川 力山 訳(講談社, 1986)

の言葉がある34。「醲肥辛甘」は濃い酒・肥えた肉など濃厚な味を意味するので、黙ってても味わえる受動的な快楽としての味覚、の意図が窺え、能動的行為としての「淡」との区別があるようにも思われる。

ここで少し『菜根譚』という文献について補足しておこう。成立は1590年頃、明代末期の中国で書かれたもので、著者の洪自誠の来歴はよくわかっていない。『処世修養篇』とも呼ばれたという説があるくらいで、処世訓集や教養書として読まれてきた。その内容は中国思想の主要な柱であった儒教・仏教・道教の教えが混然としたものと評される。仏教の影響は、特に禅宗の影響が強いとされる。

日本には江戸後期に伝わり、文政5年(1822年)には訳本が発刊されている。これが当時の知識層に広く受け入れられ、現代に至るまで読み継がれている。日本でも「淡」の概念に馴染みを感じるのはこうしたことも背景にあるのだろう。

ただ、ここだけ読むと『老子』および北宋期の解釈をそのまま受け継ぎつつ、独創性のない後継者がよくやるように内容を先鋭化・極端化しただけのようにも思えるが、『菜根譚』は少し事情が異なる。というのも、先に引用した部分は続きがあるのだ。続きを含めた全体をあらためて示す。

醲肥辛甘は真味に非ず、真味は只是れ淡なり。
神奇卓異は至人に非ず、至人は只是れ常なり。

こうして見ると、味覚についての部分は2行目にある、人についての評言を主張するための喩えとして書かれていることがわかる。つまり、『菜根譚』では「淡」は「常」と対応しているのである。

では「常」はどのような意味を持つのか。講談社学術文庫版を訳した中村らの註釈によれば、「至人」とは「道を修めて究極に達した人」を意味する。上記引用箇所の現代語訳は以下のようになっている。35

すぐれた人や他に抜きん出た人は、ほんとうに道をきわめた人ではなく、ほんとうの至人は、ただことさらでない平凡なだけの人である。

中村らの訳では「常」は「平凡」の意味を当てられており、「淡」もそれに対応するイメージがあるが、私はこの解釈については別の説を持つ。というのも先に示したように、曇無讖による『大般涅槃経』の翻訳では「淡」と「常」が対応しており、そこでの「常」は「平凡」といったような意味ではなく、真理を悟った後に訪れる涅槃の境地の一性質を表すものであり、不変不動、永遠不滅の性質を意味するものであったからだ。『菜根譚』は禅宗の影響が強いとされるから、「淡」と「常」の対応がその影響下にあったと考えることはできそうだ。

もしそうだとするならば、『菜根譚』のいう「至人は只是れ常なり」の「常」は、「平凡」とするよりも、どんなときも動じたりたじろいだりしない、不動の境地を指す、と考えることもできるかもしれない。不測の事態にも動じないということは、その事態への対処として如何ようにも動けることを意味する。どんな事態に対してもそれこそ淡々と取り組めるような人物を「常」としているのではないか。『菜根譚』全体の主張から考えても、この解釈の方が無理のないような気がする。

では「常」に対応する「淡」にどのようなイメージを『菜根譚』が抱いているのだろうか。単に味が薄いということではおそらくないだろう。そもそもが『菜根譚』という題は野菜の根に基づくものであり、序文にあるように「菜根の中に真味有る」というくらいだから、そこには苦味あり渋味あり、青臭さもあるが滋味もある、といった味をイメージしていたのではないだろうか。

「酸・苦・辛・鹹・甘」の五味は、味つけとして後から加えられるくらいに個性のはっきりした、いわば記号化された味である。一方で「淡」は、食材に感じられる、それら記号的な味に還元できないがしかし確実にある味をまとめて仮託した味ではなかったか。それは辛いだの甘いだのといった刺激的なものを含まない、起伏のない平淡な味であり、そのためにそれは「常」と結びつくのではないだろうか。

結局「淡」とは何だったのか

以上、道元が宋より持ち帰った「六味」の「淡」について、いろいろと調べてきた。先に述べた通り、道元が中国を訪れたのは 1223年、南宋の頃である。道元は六味がどのような味かを明確には記していないので想像するしかないが、おそらくは宋代の「淡」解釈の影響下にはありえただろう。

しかし、道元は苦辛鹹甘の五味に対して「淡」を取り立てて扱うことはなく、あくまでも「六味」と一括りにして述べている。『老子』のように五味を下げることもなく、『菜根譚』に見るように「淡」を「真味」と持ち上げることもない。「自然に三徳円満し、六味つぶさに備わらん」の記述に見るように、六味すべてが等しく玩味の対象である。

道元は『典座教訓』に次のように記している。

仏法清浄の大海衆に朝宗ちょうそうするの時は、醍醐味を見ず、莆菜ふさい味を存せず、ただ一大海の味のみなり。 (略)「比丘の口はかまどのごとし」の先言あり。知らざるべからず。想うべし、莆菜もよく聖胎しょうたいを養い、よく道芽どうがを長ずることを。

私なりに解説すると次のようになる。仏の教えに醍醐味や粗末な菜っ葉(莆菜)の味といった区別はなく、海の味ただ一つに収斂していくようなものである。僧侶の口は、上等なものでも粗末なものでも等しく燃やす竈のようなものである、と昔の人は言った。粗末な菜っ葉でも修行の役に立つし、身体を養うのに足る。

道元の思想からいえば、「淡」も他の五味も、仏の教えを前にすれば大差ないのであろう。だから道元はことさら「淡」を特別視することなく、ただ「六味」とおおづかみに扱った。世俗化した仏教ではなく釈迦本来の教えを重視した道元にしてみれば、六味の「淡」は、宋代の詩人達が拡張した「淡」ではなく、漢訳仏典に見たような、いろいろある味の中の一種類、以上の意味は持たなかったのではないだろうか。

以上が、道元の六味における「淡」についての、私の現時点での結論である。

私の「淡」

こんな感じで、「淡」についてあれこれ検討してきたわけだが、結局のところ「淡」がどんな味で、なぜそれが六味に加えられてきたのか、その由来はよくわからないというのが結論であった。二十冊以上も本を借り出し、オンラインデータベースを片端からあさり、サンスクリット語経典にまで手を出して、それでもそんなぼんやりとした結論しか導くことができない。徒労の感もなきにしもあらず、である。

しかし私にとっては、その紆余曲折そのものが愉しい。回り道をすることで普段目にしない景色を眺められるのも、考証あそびの醍醐味である。今回の収穫は、老子の「淡」に触れられたことだった。以前より、能動的に獲得する味、という考え方には思うところあり、こんなことをツイートしたこともあった。

料理から雑味を消し去ることなんてできないというか、そもそも何を雑味とするかすら明確にできなくて、食べる側は口中で感じる感覚の中から自分が「うまい」と感じる刺激を抽出し、不快なものを意識外に追いやるという味得行為を能動的に行うことになる。36

ここには、「味わう」という行為は、味を見つける、探し出すことであるという私の考えがある。海外に行くと、その土地の料理に時折とんでもない味のするものがあるが、しかし少なくとも地球上の誰かが「うまい」といって食べているものであれば、どこかにその土地の人が「うまい」と感じる味が隠れているはずだ。そう思って、初めは口に合わなくとも神経を研ぎ澄まして食べていると、やがてその「うまい」ところがわかる瞬間が訪れる。これを私は「味を探す」と呼んでいるのだが、この探す行為が、また格別に愉しい。

その意味で、いまや AI の力を借りて、不確かながらもチベット語やサンスクリット語で書かれた文献を調べることができる、ということがわかったのも望外の喜びだった。もちろん AI の出力する訳が正しいかどうかは常に疑ってかかる必要があるが、今回調べたような簡単な構文のものであれば、AI の出力を手作業で確認することくらいはできる。その過程で、いままで読もうと思ったことすらなかったチベット語への理解が少し深まった。知識をよりよく味わうための手段が格段に広がったのである。

そしてこの愉しみは、尽きるところがない。調べる手段が増えれば増えるほど、学べることが増えていく。学ぶ手段を見つけられず、あるいは必要な労力が大き過ぎて諦めていたようなことを、どんどん学べるようになってきた。むしろ学び過ぎで他が疎かになることを懸念しなければならないくらいだ。

「淡」を味わう愉しみを見つけた私自身は、まだ当分、枯れることができそうにない。

付録: AI の活用

さて、冒頭に述べたようにこのエッセイを書くための調査には AI をおおいに活用した。しかしこれは最初に断わっておきたいが、このエッセイの文章作成そのものには、ほとんど使っていない。すべての文は、私が直接書いたものである。AI は細かな字句訂正にのみ使用した。

AI を活用したのは調査段階である。やはり冒頭で述べたが、「六味における『淡』とはどんな味か」と AI に尋ねるだけでは、少なくともこれを調べ始めた頃の AI(Claude Opus 4.5-4.6, ChatGPT 5.2 など)では満足できるような結果を得ることはできなかった。しかし「六味が言及されている仏典にはどのようなものがあるか」「仏典以外の中国語文献で『淡』はどのように用いられているか」といったことを指示し、かつ出典を明示することを求めるとそれなりの出力が返ってくる。本文で示した『大般涅槃経』はそうやって見付けたものである。

『大般涅槃経』ほか様々な中国語仏典の調査にあたってはSAT大正新脩大藏經テキストデータベースCBETA Online にお世話になったが、 AI がこれらデータベースを参照して調べようとしていたのも参考になった。ただ、AI からデータベースを直接参照できないこともしばしばあり、また長文テキストの読解はいい加減になりがちで、見落しも多く、自分で直接読んだ方がてっとりばやいことも多かった。このあたりは、AI の訓練においてこうした分野はまだまだ手薄である可能性を示唆する。訓練に使えるデータもけして多くないのだろう。

さて『大般涅槃経』をさらに調べていくと、その原典がどうしても気になってくるが、中国語はまだしも、チベット語やサンスクリット語になるとお手上げであった。 AI に翻訳させることはできたとしても、その訳が正しいのかどうかを判断できないのであれば意味がない。

ただ、幸いなことに、今回の調査で対象としたのは「塩味」「苦味」といったごく基本的な語句であったため、オンラインのチベット語辞典をあたることで AI の出力を検証することくらいはできた。ありがたい事にこの辞典だと、チベット語のアルファベット表記、例えば “bska ba”(渋味)、と入力するとそれを即座にチベット文字(“བསྐ་བ་")に変換してくれるので、これまたオンラインのデータベースにあるチベット語経典の画像と照らし合わせて検証することができたのである。結果として、チベット語の AI 翻訳は、今回試したような範囲においては、なかなか信頼できることがわかった。

調査結果の整理には、AI はさして役に立たなかった。おおまかな流れの確認にはいいのだが、細かいところを見ると検証していない文献情報が加えられていたり、しかもそれが間違っていたりした。また、本文で示した六味の対応表は、こういうのこそ AI にやらせるべきだと思ってやってみたものの、やはり間違った内容のものを作ってよこしてきたので、手作業で作らざるをえなかった。ただ、表を見やすくするための装飾については、AI に指示をすると一回で適切な CSS を作らせることができた。このあたり、やはり得意不得意があるようだ。

最後に、文章の執筆に AI を使わなかった理由を述べる。もちろん、一つには書くことそれ自体が楽しいから、ということもあるが、一番の理由は、私は書きながら学んでいったから、ということにある。

いろいろな文献を渉猟し、それらしきことを書いた文献を見つけ、それを元にして文を書き結論をまとめようとするとき、書いている内に、どうにもすんなりと文が書けないときがある。そんなときは、書きたいことが本当に頭にあった上で書いているのか、と自問自答する。よく考えてみると、実は何を結論として書けばいいのか、結論も根拠も曖昧なままにしていたことに気づく。そこで執筆の手を止め、あらたに資料を調べていくうちに、新しい発見を得てようやく自分の書きたいことが定まる――そんなことが幾度もあった。

AI に書かせるとこれが難しい。なにかそれっぽい文章がズラズラと出力され、読むといっけんまとまりがよいので正しそうに見えてしまう。もちろん、実際にそれが正しいこともあるだろうし、私が書くよりもよく整理されていて読みやすい、ということもあるだろう。しかしそこには、上で私が体験したような揺蕩はない。背後にはそれがあったのかもしれないが、私が生で体験したほどの強度でそれを読み取ることは難しい。

そもそもの出発点からして曖昧な問いであるし、明確な正解があるような問いでもない。であるならば、結論に至るまでのあれこれの回り道にこそ価値がある。私はこのエッセイを書く過程を経て、現代の技術があればチベット語文献の読解は手も足も出ないというほどではない、ということを学んだし、技術の助けがあってもなおサンスクリット語原典の読解は難しい、ということも体験した。そうした細かな体験が、ものごとの判断の基礎となる。だからこそ、書くという行為を私は手放す訳にはいかないのである。

ゆえに問うなかれ、誰がために文を書くかと。そは汝のために書くなれば。


  1. 道元著・中村ほか訳『典座教訓・赴粥飯法』講談社, pp. 32-33, 1991。 ↩︎

  2. 『説文解字』水部(reprinted by Chinese Text Project)(accessed on 2026.2.19) ↩︎

  3. 下田正弘『涅槃経の研究: 大乗経典の研究方法試論』春秋社, pp. 155-160, 1997 ↩︎

  4. Akira Yuyama “Sanskrit Fragments of the Mahāyāna Mahāparinirvāṇasūtra: 1. Koyasan Manuscript”, Studia Philologica Buddhica Occasional Paper Series IV, Tokyo The Reiyukai Library, p. 12, 1981 ↩︎

  5. 大正新脩大藏經 第 12 冊 No. 374 大般涅槃經卷第四, 如來性品第四之一 (reprinted by CBETA Online) ↩︎

  6. ここでの「我」は古代インド哲学の「アートマン」に由来するもので、不変・独立の自己あるいは原理を指す。現代では自分という存在に執着しないことを「無我の境地」などといったりするが、ここではむしろ解脱によってようやく「我」を得ることとなる。 ↩︎

  7. 大正新脩大藏經 第 12 冊 No. 376 佛說大般泥洹經卷第三, 四法品第八 (reprinted by CBETA Online) ↩︎

  8. 森山結希「曇無讖訳『涅槃経』における「秘密蔵」」佛教学セミナー 106号, pp. 24-46, 2017 ↩︎

  9. The Great Discourse on the Buddha’s Extinguishment” (reprinted by Sutta Central)(accessed on 2026.2.19) ↩︎

  10. 船山徹『仏典はどう漢訳されたのか』岩波書店, p. 6, 2013 ↩︎

  11. Toh 120: “‘PHAGS PA YONGS SU MYA NGAN LAS ‘DAS PA CHEN PO THEG PA CHEN PO’I MDO” (reprinted by Asian Classics Input Project) ↩︎

  12. Toh 119: “‘PHAGS PA YONGS SU MYA NGAN LAS ‘DAS PA CHEN PO’I MDO” (reprinted by Asian Classics Input Project) ↩︎

  13. N 107: “‘PHAGS PA YONGS SU MYA NGAN LAS ‘DAS PA CHEN PO THEG PA CHEN PO’I MDO” (scanned by BDRC).
    なお、rKTs で公開されている画像は一部文字が不鮮明で、対応する OCR テキストも前後の文脈から考えて誤っているものと思われる箇所があった。具体的には、「塩味」に対応する箇所が、OCR テキストでは “SBYAR” となっていたが、これでは意味を為さない。これは “SKYUR” と読むべきであろうと解釈した。 ↩︎

  14. Yuyama 1981, pp. 20-25 ↩︎

  15. Sanskrit Research Institute “Sanskrit Dictionary” の “kaṣāya” の項を参照。 ↩︎

  16. 『WEB版新纂浄土宗大辞典』「袈裟」(accessed on 2026.4.18) ↩︎

  17. Sutra Sthana Ch. 26’ of “Charak Samhita New Edition” (accessed on 2026.2.1) ↩︎

  18. 例えば『阿毘曇五法行經』には味の種類として「酢味甜味鹽味苦味醎味辛味澁味」の文字が見える。 CBETA によれば成立時期は2世紀中頃とされているから、『涅槃経』が訳された頃にはすでに、「渋」を味の一種に数える文化があったことは間違いないだろう。 ↩︎

  19. Sutra Sthana Ch. 26’ of “Charak Samhita New Edition” (accessed on 2026.2.1) ↩︎

  20. 隨相論 (reprinted by CBETA Online) ↩︎

  21. 青原令知「徳慧の『隨相論』」印度学仏教学研究 41(2), pp. 185-189 ↩︎

  22. Toh 4090: “CHOS MNGON PA’I MDSOD KYI BSHAD PA” (reprinted by BDRC) ↩︎

  23. 漢訳経典では塩味に相当する味の訳には表記揺れがあり、「醎」の他に「鹽」「鹹」「鹸」が使われる。ここで「鹹・鹸」は、塩を精製した際に生じる「にがり」や灰汁を指して使われることもある。灰汁味が紛れ込んだ理由としては、これらを塩味と独立して解釈してしまった可能性もある。こうしたことが翻訳や書写の過程で起こりうるものかどうかは私にはわからないが、一つの仮説としてここに述べておく。 ↩︎

  24. 阿含口解十二因緣經 (reprinted by CBETA Online) ↩︎

  25. Charak Samhita New Edition, ‘Avyakta’ (accessed on 2026.3.2) ↩︎

  26. 広東省中医薬局の次のページに、「将淡附于甘,将涩附于酸」(淡味は甘味に、渋味は酸味に関連付けられる)とある。また同じページに「涩与酸味作用相似,能收敛固涩」とあり、両者が似たものとして捉えられていることがわかる。「理解中药五味,方能更好掌握中药功效」(accessed on 2026.4.19)

    なお、ここで「淡」が甘味に関連付けられているのだが、中国最古の医学書『黄帝内経』では淡味は独立して扱われており、五味に加えて六味に数える場合もあり、作用も分けられている(「素問: 至真要大論」・「靈樞經: 九鍼論」)。淡味と甘味の結びつきは酸味と渋味に比べると弱いようだ。 ↩︎

  27. 中村 璋八「中国の食文化と五行思想」, 日本食生活学会誌 11巻 3号, pp. 209-215 ↩︎

  28. 青木優子「淡さの中で : 北宋以降の「淡」の美学的価値を中心に」大東文化大学人文科学研究所『人文科学』(19), pp. 61-78, 2014 ↩︎

  29. 南北朝期に詩人を格付け・評論した鍾嶸は、黄老思想にかぶれ哲学的理念に傾倒した詩に対し、「淡乎寡味(淡くて味が少ない)」と評した。 ↩︎

  30. 趙蕊蕊「宋代の『以食喩詩』について : 蘇軾を中心に」中国研究集刊, Vol. 64, pp. 126-143, 2018 ↩︎

  31. 蘇軾「評韓柳詩」 ↩︎

  32. 蘇軾「薬誦」 ↩︎

  33. 青木2014, p. 74 ↩︎

  34. 洪自誠 著, 中村璋八, 石川 力山 訳『菜根譚』, 講談社, p. 36, 1986 ↩︎

  35. 同 pp. 36-37 ↩︎

  36. https://x.com/kentarofukuchi/status/1434779524894318596 ↩︎