Coming Out Simulator 日本語版
「半分の真実」についての、半分本当のゲーム。
もし貴方が同性愛者で、パートナーにカミングアウトを促されたら?
Nicky Case 作 「Coming Out Simulator (カミングアウトシミュレーター)」は、とある同性愛(多性愛)の青年のカミングアウト体験を題材にした Web ゲームです。2014年に開催された、ストーリー重視のゲーム作品を短期間で作成するイベント「Nar8 gamejam」において優勝作に選ばれています。
このページでは私が翻訳した同ゲームの日本語版に加えて、ゲームそのものについての解説、またその翻訳作業についてのノートをお届けします。
ゲームの遊び方
Coming Out Simulator 日本語版はこちらからプレイできます。
なお、原作はこちらで公開されています。
ゲーム進行はほぼ自動です。ときどき、画面下部に選択肢が表示されますので、どれかを選んでクリックまたはタッチしてください。ゲームの進行上の注意などは、ゲーム中に作者本人から伝えられます。
解説
作者の狙い
作中でも語られますが、本作品は作者が家族へカミングアウトをするに至ったまでの実体験を元にしたゲームです。『Coming Out Simulator』というタイトルだけからだと、上手にカミングアウトすることで周囲の理解を勝ち取るハッピーエンドを目指すゲームのように聞こえてしまうかもしれませんが、一通りゲームをプレイしてみると、現実はそんなに生易しいものではなかったことが伝わってきます。
主人公のパートナーであったジャックは、主人公に対して両親へのカミングアウトを促してきます。ゲイであることを隠して生きていくこと、すなわち嘘の生を送ろうとする主人公の考えを改めさせようとするジャックの言動は、今日的な観点からは正当なものに見えますが、当然ながらそれがどのような結果を引き起こすかは、周囲の同性愛に対する理解に応じて異なるはずです。さらに言えば、すべてをつまびらかにした「真実の生」を、異性愛者だろうが同性愛者だろうが、どれほどの人が送っているだろうかと考えると、ことはカミングアウトすべきか否かという単純二分化した価値観で量れないことは明らかです。
本ゲームの作者、Nicky Case は、本作の製作過程に関してブログ記事を記しています。
これを読むと、製作中の作者の試行錯誤や葛藤が見えてきます。テストプレイの反応から、このゲームの目的が「うまくカミングアウトすること」だと思われてしまうことに対していくつかの対策を施しているところや、登場人物のそれぞれが絶対的に正しい、あるいは間違った人物に見えないよう調整しているところからも、先に指摘したような作者の葛藤がどのようなものであったか、垣間見えてきます。
最終的にこのゲームは、カミングアウトの是非について問うものではなくなったことに気付いたと作者は書いています。私も一通りプレイして、これは「真実」にまつわる極めて身近で日常的な体験を扱ったものだと感じました。あまり詳しく論じるとネタバレになってしまうのでこの辺で止めますが、人間の思考や振舞いを、ただ一つの人格が決定する、一貫性のあるものだと捉えることには無理があり、その無理に苦しんでいる人の姿がここには描かれているように感じます。
そして、選択肢によって分岐する「ゲーム」という表現手段の面白さについても、作中で自己言及的に触れられています。実際に起きたこと、本当は起きて欲しかったこと、本人が起こすまいと努力したこと、それらを「分岐」という形で並列に語れるメディアとして、ゲームは優れた形式です。一種の自己セラピーの手段として、こうしたシナリオ分岐型の表現形式は今後もっと議論されて然るべきかもしれません。
「きっとよくなる (It Gets Better™)」
作中、"It Gets Better™" という運動について触れられる場面があります。これについて簡単に解説します。
2010年、ある同性愛者の青年が、偏見にもとづいた周囲からのいじめに耐えかねて自殺するという、痛ましい事件が起きました。この事件を重く見た Dan Savage という運動家は、周囲の無理解に苦しむ若い同性愛者に向けてメッセージを送るキャンペーンを始めます。それが "It Gets Better Project" です。
キャンペーンの目的は、若き同性愛者に、それでも状況を改善する方法は必ずある、すなわち "it gets better" であることを伝えることにあります。それは簡単なことではないことを認めつつ、それは一人で悩むべき問題ではなく、連帯して、少しずつよくしていけるはずだ、ということを主張しています。
キャンペーンサイトには、かつてやはり周囲の無理解に苦しんだ同性愛者達が投稿したビデオメッセージが集められています。それらのメッセージを観てみるとわかりますが、状況を楽観視せよ、というメッセージばかりではありません。状況がいっこうに良くならず、いまでも周囲へのカミングアウトを避けている同性愛者による、匿名のメッセージも含まれています。しかし、それでもなお、自死を選ばずに生き続けることを訴えていることは共通しています。
なお、私は本作の翻訳に着手するまで同キャンペーンのことは知りませんでした。また日本において同種のキャンペーンが広く行われたかどうかは寡聞にしてよく知りません。"It Gets Better" をどう訳すのが定番なのかもネットで調べた限りでは判然としなかったため、とりあえず「きっとよくなる」と訳してあります。日本語での定訳がありましたら、ご教示いただけると助かります。
翻訳作業について
私はこのゲームについて、日本語への翻訳をしようと最初から思っていたわけではありません。とりあえず遊び始めたものの細かいスラングや同性愛差別に関する用語をいちいち調べながら進めるのが面倒臭くなり、だったら翻訳しちゃった方がいっそいいだろうと思ったのがきっかけでした。
そのような経緯があったくらい、本作の翻訳には色々な辞書や情報サイトをあたる必要がありました。ちょっとした小説くらいなら流し読みで済ませるのがいつもなのですが、今回はそこを入念に進めたため、仕事の合間に少しずつ手をつけていたこともあってだいぶ時間がかかってしまいました。
さて、その翻訳過程において、気付いたことをノートにまとめました。海外の若者を主人公とした物語の翻訳という難しさに加えて、非異性愛者の日常を描いたものであり、さらにはゲームの仕掛けに関わる部分をどう訳出するかという苦労がありました。ゲームの翻訳にたずさわる方々になにかしらお役に立てば幸いです。