目次前章「夜の高千穂ガイド」次章「阿蘇へのアタック」

九州のへそを行く〜高森・立野〜

夜の果てへの旅

降りてきた車道を今度は逆に登ってゆく。途中、国民宿舎建設のための飯場があり、まだ明かりがついていた。 もしどうしても宿が確保できなかったら、あの飯場に御厄介になろうかしらんとあたりをつけておく。 やっとこさ繁華街のはずれに差しかかるが、道の両脇に林立する旅館もビジネスホテルも民宿もすでに門を閉ざしていた。 『営業中』の札を掲げておきながら、ドアを閉めカーテンを引いている宿もある。よほど叩き起こしてやろうかとも考えたが、 一人で放浪中の若者という姿形をしていては体良くあしらわれるか、そこまでいかなくともいい顔はされないだろう。 とりあえず先へと行く。まだ開いている所があるかもしれない。そうして次々と明かりの消えた宿を通り過ぎ、 いつしか高天原のあたりまで来ていた。道の先にはトンネルがあり、トンネルを抜けてしまえばその先にはもう何もない。 しかたなく別の道を通って引き返す。もうどうしようもないのは分っているが、立ち止まる気にはなれない。 立ち止まってしまったら、どうしようもない事を認めなければならない、 その事を考えたくないがためにただがむしゃらに歩を進める。 確固とした行き先はないのに、ただ立ち止まりたくない一心で歩き続ける。

と、ちょっと裏通りに入りこんでしまった。いくらなんでもこんな所に宿屋は無いだろう。 仕方なく来た道を戻ろうかと思った時…


寒さと感激のあまり手が震えているため写真がブレている

あった、営業中の民宿が!まだ門は開いている。砂利路を大股で歩いていき、玄関に向かう。 入口には従業員の姿が見えない。「こんばんは」「ごめんください」と声を出してみるが、反応がない。 脇を見ると、入口からは小路が延びていて、路の右側には縁側があり、障子の奥から明かりと人の声が漏れてきている。 ええいままよと、「ごめんなさい」と障子を開けてみた。と、そこはどうやら食堂らしく、 座敷に大きな机が置かれており、四五十ほどと初老の男が二人、テレビの前で談笑していた。どうやら客ではないようだ。 事情を話すと四五十ほどの方の男が応じてくれた。どうやらこの宿の主らしい。 大学ノートにこちらの住所氏名を書いた後に部屋へと案内してくれた。ありがたい。 明日は早く発つ事を告げ、宿代を先払いした後、風呂に入りさっさと寝る事にする。 ああ、屋根の下で、壁に囲まれて、布団の中で寝られる幸せ!

朝焼けのバス

翌朝、まだ日も昇らぬうちに起き、宿を発つ。まだ主人は起きてきていないのでこっそりと出ていく。 外は寒い。五分としないうちに全身に震えがくる。こりゃ野宿してたら死ぬな、というぐらい寒い。 自分の吐く息のせいで視界不良になるくらいだ。さて、バスターミナルに着くと早くも高森行きの始発バスが待機していた。 自動販売機でホットコーヒーを買い、バスに乗り込む。客は僕一人。定刻間近になってもターミナルには誰も来ない。 暖房の効いたバスの中で、もう少し高千穂でゆっくりしていこうかとも考えるが、 一度暖かい所に落ち着いてしまうと、もうあの寒空の下に戻ろうとは思えない。そうしてバスは定刻どおりに出発した。

バスは始めこそ広いまっすぐな道を走っていたが、やがてくねくねした山道へと入っていった。 その頃には日も昇り、あたりの景色もはっきりと見えてきた。 朝靄に煙る渓谷を臨むなかなか眺めのよい所で、秋の紅葉の頃はさぞかし見事であろう景色が眼前に広がっている。 道の右側は山、左側は谷。道以外には何もないような所をバスは走っていく。それでもたまに民家が建っていて、 次第にちらほらと客が乗り込んでくるようになる。どうやら高森にある学校の生徒らしき若者が次々と乗ってくる。 早起きだなぁ。僕も中高生の頃は結構早起きだったけど、電車は五分間隔で走っていたから、十分くらいの寝坊ならいくらでもカバーが効く。 しかし彼等はこのバスを逃すと一時間はたっぷり遅刻してしまうのだ。自然、朝起きる、という事に対する態度は違ったものになろう。

八時頃、バスは街の中に入っていった。どうやら高森に到着したようだ。制服姿の学生がいっぱい歩いている。 ターミナルらしき所でバスは止まった。バスを降りてあたりを見回す。南阿蘇鉄道高森駅が、北へ延びる道路の端に見える。 高森にとどまる事は考えられない。まっすぐ駅へと向かった。南阿蘇鉄道、もちろんそんな鉄道の事は知らなかった。 どことどこの間を走っているのかさえ知らない。路線図をじっと見ると、どうやら終点立野まで行くしかなさそうだ。 そこで豊肥本線にのりかえれば、阿蘇山へも行ける。これだ。今日は阿蘇山に登ろう。阿蘇山に登るにはどの駅で降りるべきなのだろう。 その名も阿蘇駅というのがあるから、これにしよう。こうして立野経由阿蘇行きの切符を買い、僕は南阿蘇鉄道に乗り込んだ。

南阿蘇鉄道は、分類上はレールバスと呼ぶらしい。何が違うのかわからないが今日の移動は二連続でバスによるものとなった。 右手に阿蘇を臨みながら電車は立野へと降りていく。レールの継目を超える単調な音が眠気を誘う。 始発バスに乗るために早起きしたせいか、何も考える間もなくストンと眠りこんでしまった。 そのまま立野までは何事もなく進んでいった。立野駅で豊肥本線の到着を待つ間に、ホームに設置された案内板を読む。 それによると、立野から阿蘇方面へ行く電車はスイッチバックで登っていくらしい。これはいよいよ鉄ちゃんじみてきたぞ。 ほどなく電車がやってきた。なるほど、阿蘇方面へ行く電車も熊本方面へ行く電車も、同じ方向からやってきた。 阿蘇行きの電車に乗ると、電車は林の中へと進んで行く。こりゃいくら何でも辺鄙過ぎやしないかと思っていると電車は止まってしまった。 そう、電車はここでもう一回スイッチバックするのだった。考えてみれば当たり前だ。再び電車は、今度は正しく阿蘇方面へと走り出した。 南阿蘇鉄道・豊肥本線と乗り継ぐと、阿蘇山を中心に右回りで半円を描く事になる。時折車窓から阿蘇を眺めると、 その都度違った形に見える。なるほどね、と納得するうちにまた眠気に襲われた。車内は暖房が効いていてすこぶる快適だ。 抵抗する間もなく、またしても眠り込んでしまった…。

緑の旅路

おぼろげながら目を覚ますと、電車が駅に止まっている。どこだろう。ドアの閉まる音が聞こえる。どこだ。電車が動き出した。 看板が見えてきた。阿蘇駅だ。やっと着いた。やれやれ。違う。電車は今加速している。 ここまで思考が巡ってやっと頭がはっきりと動き出した。僕は阿蘇駅を寝過してしまったのだ。 この事がどれほど重大か、気が付くのにさらに数分の時間を要した。

鉄道網が発達した所に住んでいると、一駅ぐらい寝過した所でどうって事ないという感覚が根付く。 次の駅で降りて待っていれば反対方向の電車がすぐ来るし、なんなら一駅ぐらい歩いたって構わない。しかしここでは違う。 反対方向の電車が一体何分後に来るかは分かったもんじゃないし、一駅がいったいどれくらいの距離になるか、 それを歩くなんてとても考えられない。駅の近くで一杯ひっかけようにも、そんな店があるとも限らない。 これは大変な事態になった。しかしもはやどうしようもない。とりあえず次の駅で降りる事にしょう。 そう腹を決めて椅子に座り直す。

電車は意外にもすぐに次の駅に停車した。駅名は「いこいの村」。駅の案内板を見る限りではまだ阿蘇山のふもと、と言えるような場所のようだ。 ほっと一息ついて駅を後にする。道路の案内板によると、阿蘇駅までは2km程らしい。これなら充分歩ける距離だ。そう思って西に歩き出した途端、 阿蘇山方面に折れる道の方向に案内板が立っているのが見えた。むむ、ここからでも阿蘇山へ登れるかもしれない。 それならこの道を行ってやろう、寝過ごしたのも何かの縁だ、と私は左90度方向転換をして、今度は北向きに歩き始めた。 今となってはこの選択は間違っていたと私は確信している。理由はふたつある。ひとつは私の靴だ。