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阿蘇へのアタック

阿蘇の山中にて道をうしなひ

私の祖母の家は福島県郡山にある。以前、祖母の家に泊りがけで遊びに行った帰り、ふと思い立って宇都宮で降り、 霧降高原に寄り道をした事があった。時間の都合であまり長居はできなかったが、いろいろと歩き回ったおかげでなかなか楽しかった。 その帰り、宇都宮は餃子の街だというのを思い出し、せっかくだから餃子を喰っていく事にした。 とりあえず駅前に立っている『餃子の像』をチェック。 そして、ちょっと前に何かの本で『餃子のうまい店』として挙げられていた店名をたまたま覚えていたので、 ところどころにある地図を頼りにその店を探し回った。が、せっかく見付けたその店は休みだった。 仕方なく他の店を物色する。繁華街を観察していて気がついたのは、意外な事に餃子専門店らしき店がほとんど無い、 という事と、餃子を扱っている多くの店に「当店では餃子にニンニクを入れていません」という掲示がある、という事だ。 その場はおとなしく適当な店で餃子を食し、宇都宮を後にした。 ところが霧降高原に行く前にコインロッカーに入れておいた荷物を忘れて東京に戻ってしまい、 翌日再び宇都宮へと行くハメになる。

私はいこいの村駅から阿蘇山を目指す事にした。今となってはこの選択は間違っていたと私は確信している。理由はふたつある。 ひとつは私の靴だ。福島県の祖母の家の近くには靴の専門店があって、その店は品揃えが豊富でしかも安い。 足のサイズの大きい私は祖母の家に行く度にここで靴を買う事にしている。ある時私はトレッキングシューズを買った。 山歩きに向いた靴を買ったとなれば、これを履いて山を濶歩したい、と思うのが人情であろう。 霧降高原に寄り道したのにはそんな背景があった。霧降高原は駅から結構離れていて、 また高原にも歩くのが好きな人のためのコースがあり、そんな所を私はぐいぐい歩き回った。 さすがトレッキングシューズだけあって、買ったばかりの靴にもかかわらず快適に歩くことができた。

しかし、今回履いていたのはそんな強行軍を想定した靴ではなかった。昨晩、 夜の高千穂を重い荷物を抱えてうろうろと歩き回っていた時すでに足には相当なショックが累積しており、 宿を見付けた頃には足の甲あたりに激痛を伴う程になっていたのだ。朝起きた頃にはあまり気にならなかったのだが、 いこいの村駅を後にして1kmも歩かないうちに、激痛がぶりかえしてきた。これから山を登ろうというのに、 そんな足でどうなるというのか。これが間違いのひとつだ。もうひとつは、降りる駅を間違えた事にある。 阿蘇駅から阿蘇山まではバスが出ており、これに乗れば頂上まで簡単に行く事ができる。 また、いこいの村駅の次の駅、宮地からもやはりバスが出ており、これまた楽なコースだ。 しかしその間の駅であるところの、いこいの村からはそうした便利な交通手段を利用できないのだ。 もしその事を事前に知っていれば、寝過ごした時に慌てていこいの村駅で降りずに宮地駅まで行く事ができたであろう。 充分な余裕があれば放浪の旅もいいが、そうでない時はやはりそこそこの下調べというのがやはり重要なのだなぁ、 と今頃になって思うのだった。

終日あらぬ方にさまよふ

とはいえ、今さら悔やんでも仕方がない。足は痛いが途中車でも拾ってなんとか頂上に辿りついてやろう、 と調子の良い事を考えているうちにちょっとした事に気がついた。今日はまだ朝飯を食べていなかった。 今朝起きて「あや」を出て以来口にしたものと言えば、6:25発高森行きのバスの出発を待つ間、 寒さをこらえるために買った缶コーヒーだけである。高森で食べてくれば良かったなぁと考えているうちに急に腹が減ってきた。 この調子で頂上まで歩きつけるだろうか。途中で食事できる所があれば良いのだが…と思っていると、 『いこいの村→100m』と記された標識を見付けた。なるほど、いこいの村なる施設があるらしい。 名前のセンスから考えて国民宿舎みたいなものか?いずれにしろ、そこならなにか食べられるかもしれない。 足の痛みをこらえながらも100m歩いてゆくと…

おお、立派な建物が建っている!感激のあまり思わず駆け寄っていく。立派な玄関、立派なロビー。 想像していたものよりも随分と設備の整った施設であるらしい。当然食堂もある。やれやれ、と食堂に向かうとなにやら貼り紙が。 それによるとこの食堂、朝昼晩のそれぞれ二時間づつしか営業していないらしい。次の営業時間は一時間後。なんじゃそりゃ。 こうして朝食摂取の道を失った私は、気勢を削がれた格好でいこいの村をあとにする。少しでも栄養を取ろうと、 外にある自動販売機でオレンジジュースを買い、飲みながら駐車場でねばる。運よく山頂を目指す車があったら乗せてもらおうという魂胆からだ。 しかしジュースを飲み干すまで待っても一向その気配はない。シーズンオフで客も少ないし、 食堂の営業時間の制約があるから車で登ろうという人間はとっくに出発してしまっているのだろう。諦めていこいの村をあとにし、 山頂を目指してふたたび歩くことにした。

しばらく行くと今度はオートキャンプ場に出た。広々としたスペースには車の一台もない。ないのも道理で、 入口にはしっかりと柵がとりつけられている。やはり来た時期が悪かったか。 広いスペースの奥の方にトイレが見えた。それでは用を足させてもらおうと、キャンプ場の中に入っていった。 足が痛むせいか、思った以上にトイレが遠く感じる。用を終えてやれやれと手を拭きながらさっき来た道を見やると…あぁぁ、 車が通り過ぎていく!待て、俺を頂上まで連れていってくれ!しかしここからでは走っていったところで捕まえられそうにはない。 登山道に入ってから最初に出会った車なのに、よりによってこんなタイミングで…。がっかりしながらも顔を上げると、 また少し阿蘇が大きく見えるようになったのに気がつく。

気をとりなおして再び歩きだす。車を逃がしたショックのためか、足の痛みが強くなったようだ。思わず歯をくいしばる。 痛みのあまり歯をくいしばるなんて、久しく忘れていた感覚だ。荷物を持ちかえたり靴紐を結びなおしてみたりするが痛みに変化はない。 それに腹が減った。それでも前に進むしかないからとぼとぼと歩いていく。ところどころで阿蘇を見やると、その度に阿蘇の形が変るように見える。 少しは阿蘇に近付いているのだろうか。しかし痛む足を抱えた今、阿蘇はあまりにも遠く見える。 それでもとぼとぼ歩くうちにまたしてもひらけた所に出た。有刺鉄線のむこうで牛が草を食んでいる。 と、そこに細い横道があるのを発見した。この横道はどこに向かっているのだろう。標識はないかと探す私の目に、 あろうことかこんなものが飛び込んできた。

「阿蘇の山中にて道を失ひ終日あらぬ方にさまよふ」今の私にとって何と心にしみ入る言葉だろう。 よく探すとこの歌碑のような棒切れがいたる所に立っている。しかも同じ文句が書かれて。 この卒塔婆のように素気のない棒切れをあちこちに植えていったのはいったいどんな種類の人なのだろう。 どう考えても人心を不安に陥れる事が目的としか思えない。『終日』とは。私はここから日が暮れるまで抜け出せないのだろうか。 話を“横道に戻す”と、標識によりこの横道は阿蘇駅方面のもので、つまり阿蘇山頂とは反対の方角に行くものだった。 そしてその標識には「ユースホステル1km」と書かれていた。このころには空腹のせいでかなり疲労しており、 この、坂道を下る、そして食事の予感がするコースは抗しがたいものがあった。そして私は、 水が低きに流るるがごとくその横道へと入っていった。この時点で阿蘇山頂行きは断念していたと言ってもよい。