宮崎シーガイアの悲惨
なぜシーガイアに行ったか
今度の旅の出発点は実は自分で決めたものではない。 12/1から12/4の間、WISS'98という学会が宮崎であり、私はそれに出席したのだ。学会は金曜日の昼に終るので、金曜日の午後と土日を使って鈍行列車の旅をしよう、というのがそもそもの計画だった。本当は宮崎港から船で四国に渡り、本四架橋を通って本州上陸、その後は地伝いに東京へ帰る、という構想があったのだが、タイトルからも分るように結局九州の中を通り抜ける旅となった。その理由はのちほど述べよう。
さて、件の学会が開催されたのが、宮崎シーガイアの中であった。これを聞くと、「おお、なんて豪華で贅沢な学会だろう」という反応があるかもしれない。しかし宮崎シーガイアは広い。実は結構安い会場、安い宿があり、そこそこの値段で学会が開催できたのだ。とにかくシーガイアは広い。フェニックスとトムワトソンゴルフクラブの、合せて45ホール分ものゴルフ場を含む敷地はたしかに広い。広いんだけど…。

学会の中日に、夜にオーシャンドームという全天候型屋内プールの中でショウをやるので、みんなで見に行こうということになった。そのオーシャンドームのショウというのは、プールの中から水飛沫のカーテンをこしらえ、そこに映像を投影するというもので、ディズニーワールドに同様のものがあるのを聞いていた事もあり、結構楽しみにてしていたものだった。さてこのオーシャンドーム、結構気合いの入った作りをしていて、やたら大きな建物の中を隅から隅まで常夏温度に暖めてある。プールは人工ビーチ仕立てになっていて、ヤシの木は植えてあるはパラソルは差してあるは、完全に常夏仕様であり、皆さんTシャツに短パンと、それらしい格好をしている。ひるがえって我々研究者どもはどうかというと、ついさっきまで外を歩いてきた事もあって長そで長ズボン、セーターを着込んでいたりコートを羽織っていたりする。中には真面目に背広姿の人までいる始末で、見事なまでに場違いな集団となってしまった。すぐにショウが始まってみんなの視線がプール側に移ってくれたのが幸いであった。
はじめはサーファー四人によるサーフィンの実演。人工波でもできるんだなぁ。何かストーリー的な導入になっているのだろうか、何やらゴソゴソやっているのだが何を意味するのかは皆目わからない。早くも演出の駄目さ、テンポの悪さが伝わってくる。さっさと水を出して映像を写さんかい、とブーたれているとやっとこさプールの中から水カーテン。映像はプロジェクターによるものとレーザーによるものの二種類あり、思った以上に迫力がある。単に投影しているだけとはいえ、水のカーテンに写し出された映像は普通のスクリーンとは違う、不思議な立体感がある。
が、感動もここまで。どんどん映像は展開し、ストーリーも進んでいくのだが、とにかく内容がショボい。演出が貧弱なんだよな。ただ水のスクリーンに映像を写していくだけ。その映像もたいした事ないし、音もへろへろ。「ハードは凄いがソフトはショボい」の典型だ。最後は女性のかん高い独唱の中、場内が明るくなって始めに出てきたサーファーが並んで向うをみつめる構図で終り。予想どおり、WISS参加者の評判はひどいものだった。
中身の貧弱さはシーガイア全体にも言える。はっきり言って何にもない。あなたがゴルフ好きなら45ホールを収める広大な敷地は魅力的に思えるだろうが、それ以外の施設がどうしようもない。プールと植物園をあわせても二日で飽きるだろう。家族でシーガイア→ お父さんはゴルフお母さんはショッピング子供はプール、という構図は成立しない。シーガイアは、ゴルフ場さえあれば良いだろうという、オヤジ発想の産物なのだ。
どうしても我慢できなかったんです
というわけで、学会が終った後はそんなシーガイアには何の未練も感じずに (本当はオーシャンドームで泳ぐために水着まで用意してあったのだが、料金が高いため断念)四国へ向うべく、まずは宮崎港に四国行きの便が何時に出るかを問い合わせる。と・こ・ろ・が、なんと宮崎からは大阪か川崎へしか船が出ていないと言われてしまった。大分港からは四国行きの船が出ているとの事なので、宮崎駅から鉄道で大分に行くしかない。という事でJR宮崎駅に直行。そこでJR鉄道路線図を片手に検討した結果、佐伯から宿毛までの便がある事が判明した。これで四国上陸は果せそうだ。佐伯行きは、延岡のりかえの電車が14時20分に出る。あと15分ほどと都合が良い。
ところが、ふとここから南下して鹿児島へ行くルートも浮上してきた。鹿児島はまだ行った事がない。川原泉のファンとしては、川原泉が住み、「日本農園」が出てくる『愚者の楽園』の舞台でもある鹿児島への旅はなかなか良さそうだ。しかし初志貫徹という言葉もある。パッと思い付いた事を実行してひどい目に会ったことは何度もある。ここはおとなしく当初の予定どおり四国に行った方が良いのでは…。一度こうした状態に陥いると、思考は果てしなく巡ってしまう。この時も四国のイメージと鹿児島のイメージを天秤にかけ、永遠に結論の出ない思考実験を繰り返していた。
こういう時人は何を基準にして決断を下すのだろうか。私の場合、ここはいい加減な旅らしく、コインを投げて決めよう、という事で財布から百円玉を取り出し、とりゃっとはじいたのだった。はたして出た目は鹿児島行きを指示していた。ふむ、当初の予定には反するが良かろう。さて、鹿児島行きは何時の電車かいな、と電光掲示板を見やると、15:30。まだまだ先だな、あれ、さっきの佐伯方面の電車は、あ、あと二分!

こういう時には慌てず騒がず鹿児島行きを決意し、あと小一時間宮崎で何をして過ごそうか、と駅周辺案内図等を見て考えるとか、積極的に何をするまでもなく近所の喫茶店等でじっくりと腰を据えながら今後の計画を立てる、などの行動をとるのが、23にもなった人間に求められる姿というものであろう。しかし先程の循環思考でヒートアップしたところにもって来て、かたや小一時間も待たねばならず、かたやあと二分で電車が行ってしまうという、辛抱というものができない人間にとっては理性を狂わせるのに充分な状況ができあがってしまった。そして私は延岡行きの電車に飛びのってしまったのだ。
今こうして文章を書いている時も、あの時の自分の行動についてはいささか情けない思いを禁じえない。四十にして不惑というが、二十も過ぎたのだし、自分はせめて準不惑と言える程度には成熟していなければいけないのではないのだろうか。そしてそんな準不惑にもなれない人間は、終点延岡においてまたしても突発的な行動に出てしまうのだった。
次章「 延岡での決断」