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延岡での決断

冬の日向灘

宮崎から佐伯に向って、日豊本線に乗り九州を北上していた私は、 車窓から見える日向灘を眺めていた。冬の日向灘は、 どんよりとした空の下を高波が次々と押し寄せ、非情で厳しい表情を見せていた。 九州の海というとどうしても温暖でおだやかな海を想像してしまうが、 冬にはやはり冬の姿というものがあるらしい。 『九州→冬でも暖か』という思い込みはなかなか抜けきらない。 普段は研究室の中に閉じ籠って過し、 情報収集は活字とWebで済ましている身には、 こうして実地に“活きた”知識を会得する過程はとても刺激的だ。 特に『厳しさ』という感覚は日常ではそう簡単に得られるものではない。 そうだ、今度は冬の日本海を見に行こう。吹きすさぶ寒風、荒れ狂う海。 きっと今まで一度も見た事のない、一度も味わった事のない体験ができるはずだ。

とまぁ、いきなり書き出しが文学青年の日記みたいになったのには訳がある。 本来ならば、一人で鉄道旅行、とくれば否が応でも人は文学的になってしまうものだ。 実際、文庫本を読みながらときおり車窓の外に流れる風景に目をやり、 一人物思いにふける、というのは一度はやっておきたい経験の一つであろう。 ところが今回愚かな事に、本の類は一冊も持って来なかったのだ。 唯一の読物らしいものと言えば、学会の論文集ぐらいなものだが、 それすらも友人に預けてしまって今はない。 いきなり車内で手持ち無沙汰になってしまったのだ。 これでは「文庫本を読みながら」の部分は省略せざるをえない。 こうして肝心の助走の部分を省いてしまったため、 その後に続く「物思いにふける」の方はいささか文学的色彩を欠いてしまった。 ほんの数時間前に終った学会の余韻が残っていたため、 「物思い」は自分の研究テーマについて思考を重ねるといった、 実につまらない方向に傾いてしまったのだ。 そいうわけで、こうして今、車窓から見えていた光景を思い出しながら、 旅行中には果せなかった文学的思索を仮想的に行った結果が上記の文章となって結実したのである。 後半の文章がやや装飾過剰気味なのは、 やはりこれぐらいの感想は抱くべきであっただろうか、 と多少後悔、あるいは反省しながら書いたためである。

さて、電車は終点延岡に到着した。佐伯に行くためには、 大分へ向う電車に乗り換えなければならない。接続は十分少々。 佐伯までだいたい一時間ぐらいと見積って、船がやはり一二時間はかかるだろうか。 となると四国に着くのはどうしたって夜の七時以降にはなる。 そんな計算が頭をよぎった途端に、私はまたしても思考循環紆余曲折状態に陥ってしまった。 移動にそんなに時間を費すのはつまらないではないか、なんて考えたりしてしまう。 さらにひどい事に、その時私はまだ鹿児島に未練が残っていたのである。 一度はこの電車でまた宮崎まで戻る事まで考えた。 しかし来た道を後戻りするなんてそれこそ無駄だ。 例によって接続まであと数分という状況でこんな事を考えだしたため、 もはやまともな判断はできない状態になっていた。 そして思考過多でクラクラしながらあたりをキョロキョロしているときに私は、 『高千穂線連絡口』なる案内板を見付けてしまうのである。

高千穂鉄道の誘惑

今後の行く末について迷っているところに、このまま四国にも渡らず、 鹿児島にも戻らずに別の場所に行く方法が突然目の前に提示されたのだ。 私はそれまでの方針を投げ捨てて、この啓示に飛びつく事にし、 とりあえず駅舎を出てとぼとぼと駅前を歩いていった。 ほんとうは「すぐさま高千穂行きの電車に飛び乗った」と書いた方が文章としても収まりが良いのだが、 残念ながら次の高千穂行きの電車は三十分後ぐらいだったので、 仕方なく延岡でふらふらする事になった。 高千穂に行くとなれば、いきおい九州中部を東から西へ横断する事になる。 という事で、今後の方針もなんとなく決定した。 あと二日の間に九州を横断してから東京に帰らなければならないという制約があるので、 鉄道を乗り継いで東京に戻るのはすんなりあきらめ、 福岡→羽田の飛行機の席をそこら辺の旅行代理店で発券してもらう事にした。 おお、これは噂のスカイマークエアラインに乗れるか、と勇んだが、 残念ながら夜の便は満席。仕方ないのでJALにする。 実は発券してもらうときに「日航でお願いします」と言ったのだが、 最近はジャルと言わないと通じないらしい。まったく困ったものだ。 それはともかく延岡を十分程散策したが、駅前を十分歩き回った程度では面白いものには出逢わないものだ。 程なく高千穂線の次の電車が来たので、乗る。いろんな駅があるが、 よく分からないので終点高千穂行きの券を買う。 後で日之影温泉駅にすれば良かったとか、天の岩戸駅にしとけば良かったとか後悔するのだが、 この辺が何の予備知識も仕入れずに旅する事の愚かさである。

電車はひたすら山奥へ山奥へと突き進む。もはや日も落ちはじめ、 景色も何もあったものではない。しかも連日の宴会のおかげですっかり寝不足になっていたため、 ついつい眠ってしまったのだ(WISSという学会には、夜は宴会すべし、という約束事がある)。 音に聞こえたなんとか渓谷(聞こえてないじゃないか)の眺めも結局見られなかった。 もっとも起きていたところで、すでにあたりは真っ暗だったので見られないという点では同じ事だっただろうが。 そんなこんなで結局高千穂に着くまではほとんど闇の中で、瞠目するような光景、 とか、魂のふるえるような感動、とか、思わず一句ひらめいた、 といった事は何一つなかったのである。

高千穂駅に降り立ったときにはすっかり日も暮れていて、もはや人気も絶えていた。 じっとしていてもしょうがないので仕方なく一二歩前に進み、 でもすぐに立ち止まってあらためてどっちに向って歩こうかと考える。 まだ今夜の宿も決まっていないのに日の暮れた駅前に立っているときというのは、 こんな心境になるのだなぁ、と感慨にふける。それがどんな心境かというと、 つまりまだ今夜の宿も決まっていないのに日の暮れた駅前に立っているときのような心境である。 そんな心境の中、とりあえず晩飯を食おう、と繁華街に向って歩く事にした。