エッセイ

オブジェクト指向は「自然」じゃないよ

オブジェクト指向は、巷間よく言われるように、本当に世界の在り様をそのまま記述できる手法なのか。世界は「クラス」と「インスタンス」で捉えられるようなものなのか。ジョナサン・ワイナーのピューリッツア賞受賞作「フィンチの嘴」を手がかりに、進化論における「種」という概念のゆらぎと比べながら考察する。
2010.3.18

字の呪術性〜「神々の沈黙」と「白川静」

白川静が説く漢字の「呪術性」を、人間の意識はどこから生まれたかという難問に挑戦したジュリアン・ジェインズの著作「神々の沈黙」を通じて考える。すなわち、かつては字そのものが呪術の道具であり、人はそれを目にすることで霊感を得ていたのではないか。
2009.1.6

コンピュータ囲碁について、王銘琬の危惧

コンピュータ囲碁の進化は「モンテカルロ法」の導入により新時代に突入した。それまでの、人間が持つ知識をプログラム化するという手法から、コンピュータ独特の解法が人間を負かすようになり始めている。このままコンピュータが強くなっていった時に何が起きるか。やがて「何故このプログラムは強いのか」を、人間が理解することができなくなる事態が訪れるかもしれない。人工知能が産みの親である人類の能力を超える「シンギュラリティ」について、SF 作家のテッド・チャンの Nature 掲載小説を紹介しながら論じる。
2008.9.8