人工知能と創造的行為
「東大准教授に教わる『人工知能って、そんなことまでできるんですか?」(松尾 豊, 塩野 誠) という本を読んでいるんだけど、その中に
キャッチコピーくらいでしたら、それほど深い知識はなくとも言葉の組合せで作っていけますから、それをいったん提示し、反応を見て手直ししていくような処理は、人工知能にもできるようになるでしょう
という一文があった。この後には文学やら政治やら経済やらを人工知能がどこまで関わっていくのかを考察する章が続いているんだけど、もう残りは読まなくていいやという気になりますな。
まあこれは対談形式の本なのでつい勢いで言っちゃったのだろうし、商品説明や本の中からキーワードを抜き出して適切に配列し、A/Bテストにかけたりして品質を高めていく、という程度の作業であればいますぐにでもできるだろうから、そこそこの品質のキャッチコピーが人工知能に作れちゃうのは本当だろう。楽天の商品一覧に掲載される一文に「【安全】【迅速】」といったフレーズをつけるくらいの作業なら、結果予測つきで提案するのはたいして難しくないはず。松尾さんもその程度のことを想定して言っているに過ぎないと思う。
しかしながら、たとえば「おいしい生活」とか「Hungry?」といった水準のものは、「深い知識はなくとも言葉の組み合わせで作」れるようなものではない。
いや、もうちょっと慎重に書くなら、ノイズを混ぜた言葉の組み合わせを何億回と試みることで高い水準のコピーを生み出す可能性はもちろん十分にある。しかし、実はもっとはるかに高いレベルで難しいのは、その中から「当たり」を選び出す過程だということだ。これは糸井重里が言っていたんだけど、彼はコピーはとにかく沢山書けてしまうのだが、その中からもっともいいものを選び出すのがもっとも時間を使う作業なのだとか。その選別過程で大切なのは、それぞれのコピーがどれだけ優れたものであるかを、読み解く力だ。そのコピーが人の生活にどれほど深くくい込んで力を発揮するだろうかを見抜くこと。それは「深い知識はなくとも」できるようなことではないだろう。
で、さらには、人工知能が提案したキャッチコピーをクライアントが採用してくれるかどうか、そして他スタッフがそれをよいものだと信じて作業してくれるかどうか、という戦いがその先にはあって、そしてそれが今後しばらくの間、「人工知能と創造性」というトピックの本質的な部分なんだよね。
たとえば西武の「おいしい生活」というキャッチコピー。これを案出したのが糸井重里ではなくそこらの新入社員だったら、これが採択されただろうか。それが堤清二や糸井重里の目に留まる段階まで残っていれば、あるいは選ばれるチャンスはあるだろうが、もっと早い段階で「いやこれはないな」と落とされる可能性はずっと高いだろう。「Hungry?」なんかも、あまりに普通の言葉であるが故に、「だから何?」という反応を引き出しやすい。
ではなぜそれらのキャッチコピーが実際に採択され、ついには世間で大きな反響を獲得するに至ったか? と言えば、それらのキャッチコピーを提案してきた人物の存在感が大きくものを言うからだ。それが「いいコピー」であることを信じて、強烈にプッシュしたコピーライターがいて、その迫力やそれまでの実績が、コピーにいわば「箔」をつけて、みんながそれをよいものだと信じられる文脈を作り出すからだ。それがよいものだと思わせられるから、それを人は受け止めようとする。受け止められ、読み解かれるから、そのよさが立ち現れる。この循環に人工知能が潜り込むのは容易いことではない。
「おいしい生活」も「Hungry?」も、それ単体では活きてこない。ウディ・アレンに筆を持たせたり、ミニチュアのマンモスを一コマ一コマ動かしたりする途方もない努力を、広告に関わる人々から引き出したからこそ、それは人の心に残ったのだ。もしそこらのスーパーの折り込みチラシに「おいしい生活」と一言書いてあっても、それは誰の心にも響かないだろう。
人をほとんど相手にせずに実施でき、迅速かつ大量に実績を獲得できる株式売買と違って、文学や美術の分野では、人に行動をさせるだけの迫力を、人工知能が作り出したものがまとうには、相当の時間が必要だろうね。
ただ、一つのコピーを採択するまでの下作業、すなわち千の駄コピーを書き出していく作業では、人工知能が活躍する可能性はおおいにあるだろう。また人間のコピーライターが作業過程で商品名や企業名をひたすら Google 検索して情報収集したりしているのは、すでに人工知能を利用していると言っても間違いではない。人間と人工知能とのタッグで作業する機会はこれから増えていくのは間違いない。その先には、いよいよ人工知能が独立して仕事ができるような状況も訪れるかもしれない。
というような話は、実は前掲書ではちゃんと論じられている(広告分野の話題でではないけど)ので、興味のある方にはおすすめします。