何故オープンソースソフトウェアを使うのか

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オープンソースソフトウェアは、多くの開発者によって日々洗練され強化されているが、 市販されているソフトウェアに比べて常に優れている訳では決してない。 多くの場合、やや使いにくかったり機能が劣っていたりする。あるいは解説書が本屋で売っているとは限らないし、 ユーザーの数も少なくて情報が入手しにくい場合も多い。

それでもオープンソースソフトウェアを使うのは、そこに何らかの理由があるからだ。 その理由は「タダだから」なんてものから「自由のため」のような思想的なものまで幅広くあるだろう。 ここでは、表現手段としてオープンソースソフトウェアを使う場合の利点を挙げている。 あくまでも参考例ではあるが、市販ソフトウェアのみならずオープンソースソフトウェアを加えた幅広い選択肢の中から、 自分の作品制作に向いたソフトウェアを選択するための判断材料として、参考になるような情報を共有することがこのページの狙いである。

無料・安いから

断わっておくが、オープンソースソフトウェアだからといって必ずしもその入手コストが無料であるとは限らない。 ダウンロードするにもコストはかかっているし、パッケージ化されたものはたいてい(安価ではあるが)有料で売られている。

とはいえ、通信コストが安くなった今、ほとんど大多数のオープンソースソフトウェアはほぼ無料で入手できるため、 何かと金がかかる作品制作の場においては有難い。もちろん、市販ソフトウェアといえども全体から見ればその経費は たいしたことはないとも言えるが、以下のような場合においては、ソフトウェアの経費が馬鹿にならず、それが無料であることが重要になってくる。

同じソフトウェアを使う人が多い
たとえばグループでの共同制作といった場合では同じソフトの大量導入が必要になってくる。一個買うのは簡単でも、同じものをいくつも買うのは懐に響く。
大量のPCに導入する
沢山のコンピューターを同時に使うような作品の場合、多くの市販ソフトウェアはその台数分だけパッケージを購入しなければならず、時にその経費が膨大になることもある。OS だって、台数が増えれば少なからぬコストとなる。
同種のソフトウェアを比較したい
高いお金を払って買ってみたら使えなかった、というような事故は防げる。無料であれば片端から試用していったところで経費はかからない。

また、学生や、なりたてのフリーランスアーティストにとって、安いというのはそれだけで魅力的だ。

中身を自由にいじれるから

画家は絵の具を混ぜて、必要な色を自分で作る。彫刻家は自分ののみを自分で研ぎ、ときには好きなように形を作りかえる。 物を作る仕事では、そのための道具もまた自分にあったように作り変えることができなければ、満足のいく仕事はできない。 コンピューターを使った制作においては、ソフトウェアがその道具であるといえ、優れた作品を産み出すためにも道具の手入れは必要だ。

オープンソースソフトウェアは、ソースコードが公開されており自由に改変することができるから、不具合があったり機能に不満があったりしても、 自分でそれを書き換えて修正することができ、作品制作の障害を減らすことができる。また、中身が見えていると、 ソフトウェアの挙動が自分の意図にそぐわない場合に、その原因を追及するのが楽になるという利点もある。

もっとも、ソースコードを書き換えて修正するにはそれなりの技術が必要であり、また時間もとられるので、 作品制作のかたわら、これを実行するのは非常に難しいだろう。しかし、開発がオープンであるのだから、そうした修正は自分でやらずとも、 勝手を知った誰か他の人が代わりにやってくれる可能性もある。多くのオープンソースソフトウェアでは、 開発者や利用者が一緒になって議論するための場が設けられている。そうした場で自分の要望を伝えることで、それを読んだ誰かがそれを実現してくれるかもしれない。 ただし開発者はそうした要望を実現する義務を負っているのではない。要望が実現されないからといって開発者を責めることはできない。 一番いいのは、そうしたソフトウェアを修正できるだけの技量を持った人を作品制作のスタッフとして引き込むことだろう。

長く使えるから

自分の作品が特定のソフトウェアに深く依存するつくりになっていた場合、そのソフトウェアが入手困難になってしまうと、 その作品自体が将来的に動作しなくなってしまう可能性がある。実際、コンピューターを使ったアート作品の動態保存は、現在大きな問題になっている。 一方、オープンソースソフトウェアの場合、たとえその開発元が手を引いてしまった後でも、公開されたソースコードはまずどこかに保存されていることが期待できる。 自分でコピーを作っておいても問題はないし、そのコピーを将来自由に使ってもよいという安心感がある。

また、将来入手できるコンピューター上では、そのソフトウェアはそのままでは動かないかもしれないが、ソースコードが公開されているので、 再び動作させられるよう修正できる可能性がある。

わかりやすい事例としては、Hypercard 上に作った作品はもはやその実行環境を揃えるのは困難だ。一方で、MS-DOS 用のゲームであった DOOM のレベルデータは、 最近の OS 上で動作する DOOM のオープン実装が多数ある現在、誰でも簡単に再び遊ぶことができる。

自由だから

もしある日 Adobe が、「これからは Photoshop で作った作品を売る度に課金する」と言い出したらどうなるだろう? あるいは Microsoft が「Windows 上で動作する作品にはすべて Microsoft のロゴを表示するように」と言い出したら?

もちろんこんな極端な事を彼等が言い出すことはこれからもないだろうが、自分の作品が、そうした誰か他の人が作ったソフトウェアに依存し、 それらの課す制約から逃がれられないというのは、あまりいい心もちがしない、という人もいるだろう。 こうした考え方をする人達が問題視しているのは、「将来どうなるかわからない」という点だ。実際、ソフトウェア業界は非常に流動的で、 今日あるソフトウェアがいつ吸収されて消えてしまうかわかったものではない。そうしたものに自分の作品の永続性が左右されてしまう状況は「不自由」であり、 オープンソースソフトウェアを使うことで「自由」な作品制作が可能になる。

ただし、自由であれば何でもできるという訳ではもちろんない。ある日そのソフトウェアの開発コミュニティと意見が喰い違うようになり、 その状況が不自由を産むということもあるだろう。特に大規模なグループによるオープン開発においては、意志決定が遅くなっていくのは不可避であり、 自分の声を通すための労力がかかるようになる。場合によってはグループ全体の意志と真っ向から対立することもあるだろう。 そうした場合、グループから離れ、それまでの成果を元に独自の開発を始める(フォーク(fork)する、と呼ぶ)、という「自由」はある訳だが、 その後の開発は困難を伴う。それでも、貴方の主張に賛同する人が増えれば、やがて充分な人的資源が集まってくることも期待できる。 そういう点においてはこの「自由」も魅力的に思えてくるのではないだろうか。