エッセイ
- コンピュータ囲碁について、王銘琬の危惧 (2008.9.8)
- コンピュータ囲碁の進化は「モンテカルロ法」の導入により新時代に突入した。それまでの、人間が持つ知識をプログラム化するという手法から、コンピュータ独特の解法が人間を負かすようになり始めている。このままコンピュータが強くなっていった時に何が起きるか。
- 字の呪術性〜「神々の沈黙」と「白川静」 (2009.1.6)
- 白川静が説く漢字の「呪術性」を、人間の意識はどこから生まれたかという難問に挑戦したジュリアン・ジェインズの著作「神々の沈黙」を通じて考える。すなわち、かつては字そのものが呪術の道具であり、人はそれを目にすることで霊感を得ていたのではないか。
- オブジェクト指向は「自然」じゃないよ (2010.3.18)
- オブジェクト指向は、巷間よく言われるように、本当に世界の在り様をそのまま記述できる手法なのか。世界は「クラス」と「インスタンス」で捉えられるようなものなのか。ジョナサン・ワイナーのピューリッツア賞受賞作「フィンチの嘴」を手がかりに、進化論における「種」という概念のゆらぎと比べながら考察する。
- 査読プロセス円滑化のための「一言査読コメント」 (2010.10.1)
- 大量に投稿論文が集まる学会でとかく時間がかかりがちな判定会議を迅速に進めるための一アイデア。
- 理工系学生のための日本語入門書 (2010.12.27)
- 理工系学生が日本語で文章を書く訓練をする上でお薦めする三冊。
- 「説明の道具」としての擬人化 (2011.6.11)
- なぜ迷信は広く受け入れられ、科学的な説明は疎まれるのか。その背景に「擬人化」があるのではないかと考え、社会的な振舞いに目ざとく反応する人間の認知の癖を手がかりに考察する。
- 日本語プログラミング言語は必要か (2011.11.23)
- 日本語の語彙や文法に基いたプログラミング言語は本当にプログラミング初学者の学習を助けるのか? Processing の方がよっぽど学習の役に立つと思うのだが…
- 電子書籍ならでは、の本を読みたい (2012.5.10)
- 以前 Twitter で連続ツイートした「電子書籍で流行るもの」の再編集版。紙の本のイミテーションではない、電子書籍ならではの本はどのようなものが考えられるか、つれづれに綴ってみた。
- マルチタッチインタフェース考〜Apple vs. SAMSUNG 裁判に思う (2012.12.30)
- Apple と SAMSUNG が争っている裁判では、「マルチタッチインタフェース」が一つの焦点になっている。iPhone 発表以降脚光を浴びた形になってはいるが、その研究は古くから連綿として続けられてきたものである。マルチタッチインタフェースの歴史を概観しながら、争点となっているジェスチャ入力の新規性について論じる。
- これからの「直感的」インタラクション (2013.8.16)
- タッチパネル操作が普及するにつれ、「直感的操作」の意味が少しづつ変容している。日常の物理世界での経験だけでなく、論理的直接性こそが、デジタルネイティブ世代における直感的インタラクションを定義するのではないか。
- コンピュータゲームにおける「カッコよさ」の規範 (2014.9.9)
- コンピュータゲームはしばらく、映画やアニメで観たあのシーンを体験可能なものとして再構成するという目標があった。しかしいまやゲームは映画に匹敵する一大産業になり、第一級メディアとして君臨している。となると、今後ゲームが規範とすべき「カッコよさ」はどこに求められるか。
- トンデモ + アンビエント = トンビエント (2014.12.2)
- 記号に頼らずに環境にそれとなく情報を埋め込む「アンビエントもの」。ときおり珍妙なものが紛れ込むので、それに「トンビエント」という名前をつけたお話。
- プログラムを数学の言葉で理解すること (2015.12.12)
- プログラミングを学ぶ過程において、抽象度の低い、コンピュータの現実の実装に沿った言語で学ぶべきか、それとも数学的概念からプログラムを理解できる、抽象度の高い言語を使うべきか。大学でプログラミングを教える立場からの考察だが、結論はない。ただただ、コンピュータという妖しい存在の、奇妙な面白さが好きだ、というしかない。
- 「透明な主人公」という類型 (2016.10.5)
- コンピュータゲームの主人公キャラクター類型の一つに、寡黙だが凄腕もしくは努力家、というのがある。小説や映画と異なり、プレイヤーが能動的に物語に関わる一方で、用意されたシナリオに沿ってゲームを進行させねばならないコンピュータゲームの宿命を象徴するこのキャラクター類型を、『ポートピア連続殺人事件』・『幻想水滸伝』・『ボクと魔王』 などを参照しながら論考する。
- バーチャル・リアリティと物語 (2016.10.5)
- バーチャル・リアリティ (VR) が再び脚光を浴びるにつれ、映画の元祖的存在である『ラ・シオタ駅への列車の到着』を引き合いに出し、スペクタクルな迫力という原始的な映像体験が VR により蘇えるのではないかという言及が見られるようになった。これについて、映像史的観点からコメントしたい。
- ゲーム主人公呼称の共有問題 (2016.10.17)
- コンピュータゲームで主人公の名前を好きなようにつけられるとき、友達との会話で主人公を何と呼ぶか? さらには二次創作作品で主人公を扱っていること示す方法について。
- ゲームと記号:記号で描かれる世界 (2017.7.10)
- コンピュータゲームには記号的表現が不可欠だが、その「記号」という考え方になじんでもらうために書いたテキストシリーズ。本エッセイでは、ゲームと記号の関係のうち、「フィールド」「マップ」などと呼ばれる領域について取り上げる。
- 夜泣きの解決と卒乳を同時に達成できた話 (2018.2.26)
- 子供の夜泣きを解決し、ついでに「卒乳」も達成したときの、自分の取り組みについて解説。
- ビデオゲームキャラクターのまばたき表現について (2019.1.22)
- 電ファミニコゲーマー・しば三角氏による「ゲームキャラが初めてまばたきしたのはいつ?」という大変面白い記事に刺激を受け、まばたき表現の意義とその出自について考察した。「まばたき表現」の定義にもよるが、キャラクターが「生きている」ように感じられる演出を目指したもの、と解釈するなら、その嚆矢を1983年の『Gossip』と『Space Fury』であると本記事では結論する。
- スティーブン・キング『ミザリー』に施された仕掛けと日本語版における組版ミス (2022.10.3)
- スティーブン・キング著『ミザリー』で、原書に仕掛けられていたある記述上のトリックが、日本語版においてはたった一字、書体が違っているせいで惜しくも再現できていないことに、原書を入手してから30年経って初めて気が付いたので報告する。