修理および計画的陳腐化についての雑感

我が家の古時計
上の写真は、私が持っているリズム時計工業(現:リズム)製の目覚し時計で、記憶は定かではないがおそらく1987年頃に購入したものだろうから、かれこれ40年近く経っている。目覚し時計としてはもう使っていないが、ただの時計として、台所の、しかもガスレンジの近くというなかなかに過酷な環境で使っており、定期的に表面の油汚れを拭き取る以外これといったメンテナンスはしていないが、目立った故障もなく時を刻み続けている。
購入してすぐくらいに、この時計を興味本位で、中のムーブメントに至るまで完全に分解したことがあった。そもそもはアラームとして鳴るベルの音がやかまし過ぎたので、音量を調節しようと思って蓋を開けたのがきっかけだったのだが、分解していくうちに面白くなってしまい、つい中身にまで手を出してしまったのだった。ばらしてみるとほとんどの歯車がプラスチック製だったことに驚いたのを覚えている。その後元に戻して、今に至る。
時計に限らず、我が家では掃除機やらテレビやらの類はやたらとものもちがよく、なかなか買い替えることがない。私はそうした機器類のメンテナンスが趣味で、掃除機なんかは何度も部品を交換してもう20年くらい使い続けているくらいなので、メンテナンスが製品寿命を延ばしている理由の一つである、と信じたい。所詮は素人に毛が生えた程度の腕前なので、そうしたメンテナンスがかえって寿命を縮めているケースもあるかもしれないが。
家電に限らず、建具の修理も楽しいものである。先日コロナ社から刊行された『インタラクションデザイン- 生活・技術・人をつなぐデザインのかたち -』では、我が家の浴室の扉を修理した際の話をコラムという形で入れさせてもらった。そこでも書いたように、アルミサッシの扉というのはたいへん修理しやすかったのだが、浴室全体をリフォームした際に樹脂製のものに置き変わってしまい、どこかが壊れた際に自分の手でどうにかできるのかどうかはわからなくなってしまった。
ところが先日、誰もいない浴室の中で風呂桶の蓋が倒れてしまい、内開きのその扉を外から開けられなくなってしまったことがあった。幸い、扉をレールから外して対処することができた。その際ついでに普段は手の届かないところを清掃することができたし、扉の仕組みを理解することもできたので、この種のモジュール化の進んだものでも、手をかけられるところがあることを知れたのは嬉しかった。
ひるがえって、2020年に購入した iPad の容量が逼迫してきて、OS の更新のたびになにがしかの対処を迫られる。この数年は同じアプリを同じように使い続けており、それらもデータをストレージに溜め込むような性質のものではないはずなのだが、キャッシュの類をクリアしてもなお空き容量が増えない。どうやら、OS やアプリがちょっとずつ肥大化し続けた結果のようである。しょうがないので使用頻度の低いデータやアプリを少しずつ削除して対処している。この作業も、やっていることはメンテナンスの一種であると考えてもよいのだが、なぜかこちらの作業はまったく嬉しくない。ハードウェア的にはまだまだ使えるのにソフトウェアのせいで用途が狭まっていったり、やがてはサポートが打ち切られ使えなくなるだろうことに対する腹立ちの方が勝る。
もちろん、冒頭の時計と比べてとんでもなく複雑な製品であるのだから、これらを比較するのはまったくの不公平だ。時計は眺めるだけで用が足りるし、ほとんど触ることもないし、機能が追加されることもない。ネットワーク越しに誰かがこの時計に悪さを働く恐れもない。
そのことは十分に承知した上で、それでもなお、この陳腐化の早さはもうちょっとどうにかならないものか、とは思う。
「必要以上」の欲求
メーカーが製品の買い替えをユーザーに迫るために、人為的に製品寿命を縮める処置のことを「計画的陳腐化 (planned obsolescence, programmed obsolescence)」と呼ぶ。その事例としてよく紹介されるものに、電球の寿命を制限したポイボス・カルテルがある1。ゼネラル・エレクトリックやフィリップスなどの大企業が結成したカルテルで、特許プールの運営、市場テリトリーの策定、価格調整などに加えて、電球の寿命を意図的に制限し、交換需要の維持に勤めたとされる。
このうち、寿命制限以外の点については法廷でも確認された事実である。しかし寿命制限については、 1000時間程度に制限されたところまでは事実であるものの、それが計画的陳腐化を目的としたもの、つまり交換需要の喚起を目的としたものであるかどうかについては、明確に立証されているわけではない2。もちろん極めて疑わしいケースではあるのだが、今となっては立証は簡単ではないだろう。
計画的陳腐化の象徴のように取り上げられるポイボス・カルテルでもこの調子なので、複雑化していく一方のシステム製品ではその検討はいよいよ困難である。古い iPhone で意図的な性能制限が行われていた、通称 “Batterygate”3 も、買い替え需要を喚起するための陳腐化であったと立証された訳ではないし、バッテリー寿命の延命を目的とした措置であったと言われれば、そのことだけ見れば非難されるべきことではない。ポイボス・カルテルの事例に基づいて計画的陳腐化の立証の難しさを議論した Moyse は、この件はむしろ透明性の欠如の問題であったことを指摘している4。私もこれについては同意見で、ユーザーの需要は様々であり、 Apple が施した処置はその需要の一つに応えるものなのであって、ただちに陳腐化であると断じる訳にはいかないだろうと思う。ただ、そのことはきちんとユーザーに明示されるべきことではあった。56
上記のような事情もあり、「計画的陳腐化」はなかなか捉えにくい概念である。「計画的陳腐化」という言葉を現代に広めたのは工業デザイナーの Brooks Stevens だが、彼は「計画的陳腐化」を
instilling in the buyer the desire to own something a little newer, a little better, a little sooner than is necessary. (必要以上に、少しだけ新しく、少しだけ良いものを、少しだけ早く所有したいという欲求を消費者に植え付けること)(強調筆者)
と定義した7。この定義も、「必要以上 (than is necessary)」の「必要」をどう捉えるか次第で受け止め方も変わるだろう。同じ製品であっても、本来不要であるはずの機能を売りつけていると評されると同時に、新しい需要を開拓する画期的製品だと評される、といったことは起こりうる。携帯電話が普及していたときにスマートフォンを売りつけるのは、その当時の携帯電話に対する需要を考えれば「必要以上」だったろうし、現在から振り返れば「必要」だったとも考えられる。その製品を世に問うた段階では、それが「必要以上」なのか「必要」なのかは断定できない、ということは往々にしてあるだろう。
陳腐化の種類
ジャーナリストの Vance Packard は著書 “The Waste Makers” で、陳腐化を以下の3種類に分類している。8
- 機能的陳腐化 (Obsolescence of function)
- 機能的により優れた製品の登場により、旧来の製品が陳腐化する
- 品質的陳腐化 (Obsolescence of quality)
- 計画的な故障や劣化によりその製品本来の品質が保たれなくなることにより陳腐化する
- 心理的陳腐化 (Obsolescence of desirability)
- 機能・品質とも問題ないが、スタイリングその他の変更により魅力が薄れて陳腐化する
これのそれぞれに「計画的」をつけると、企業側から見た、買い替え需要を喚起するための戦略指針となる。例えば「計画的な品質的陳腐化」は、製品の寿命を意図的に制限することで買い換え需要を喚起するもので、先のポイボスカルテルによる電球寿命の操作はこれが疑われたものである。
さて、単なる「機能的陳腐化」については、多くの論者が、機能的陳腐化は技術の発展に伴い必然的に起きるもので、あまり問題視しない姿勢をとっている。さきほど例に示した、スマートフォンが旧来の携帯電話を陳腐化させるような事例がこれに該当する。より優れた製品が世に登場すれば、それまでの製品が陳腐化するのは致し方ない、という考え方だ。
ではこれに「計画的」をつけた「計画的な機能的陳腐化」というのはどのようなものか。勘繰るなら、どうせ後で陳腐化し不要になることがあらかじめわかっている機能を「新機能」として大々的に宣伝する、というやり口が該当するだろうか。例えば一頃やたらと宣伝されていた 3D テレビなんかはその気配を感じないでもない。
ただ、本当にそれが計画的であったかどうかを立証するのは、先の品質的陳腐化の事例以上に難しいだろう。開発した側は必要な機能だと思っていたのに消費者に受け入れられず、不本意ながら陳腐化してしまった、という場合の方が圧倒的に多いだろうから、そうした失敗事例の山の中から計画性のあった事例を特定するのは簡単ではあるまい。
ちなみに「計画的な心理的陳腐化」は、ファッションにおける「流行」が典型的な事例として挙げられる。新しい流行を作り出すことで去年のファッションを流行遅れにするという手段は、いつの世も批判の対象にされてきたがいっこうに衰える気配がないのは、産業全体がこの構造に依存しているからだろう。この傾向はいわゆる「ファストファッション」の流行に伴い加速しているように見える。9
「必要」の創造
心理的陳腐化と機能的陳腐化とを組み合わせ、本来不要だったはずのものを、必要であると煽ることによって本当に「必要」にしてしまう戦略も考えられる。以前書いた「Inflated Reality - 膨張させられた現実」で示した、自分の部屋に落ちているホコリを AR デバイスで可視化することで掃除の必要性を通知する、なんてアイデアはまさしくその一例である。ちょっとした汚れを可視化する機能は、それまでその汚れを気にしていなかった人にとっては本来不要なものである。しかしその機能によって、それまで十分に清潔に感じられていた空間が汚れているように感じさせられた人にとっては、それ以降その機能は「必要」になってしまう。
最近の例でいえば、AI を使った写真のレタッチなんかは、本当にそんな需要が広くあるのだろうかと思う。みんながレタッチした写真を投稿するせいで、自分もレタッチしないと恥ずかしい思いをする、みたいな状況を生み出しているだけではなかろうか。
これに似た話は、かつてバーチャルリアリティ学会誌の連載「VRメディア評論」で、『SSSS.GRIDMAN』を取り上げた際にも少し論じた10。該当箇所を引用する。
古くからある VR 技術の例として,化粧のことを考えてみましょうか. 気になる箇所を隠し,美しさを加えられる化粧は,人の外見のアップグレード技術です. それによって気分良く生活できているうちは,素晴しい技術といえます. しかし化粧をしている人が増えると,今度は化粧をしていない人の欠点が目立ってきます. そうなると化粧しないことのデメリットが強くなってしまい, 化粧をしないわけにもいかないと感じる人も出てきます. 単に社会的に認められることのみを目的とした化粧ほど馬鹿らしいこともありません.
先にも紹介した Brooks Stevens のデザインした製品は、単に機能的であるだけでなく、その優雅な見た目で消費者にそれを所有することの誇りと喜びを抱かせるものであった11。いってみればそれらは消費者に「ライフスタイル」を提供するものだったのだ。彼が「計画的陳腐化」の定義として言った「必要以上に、少しだけ新しく、少しだけ良いものを、少しだけ早く所有したいという欲求を消費者に植え付けること」の「少しだけ良いもの」は、機能面のみならず、「少しだけあなたを良く見せるもの」の意味を含む、と考えることもできそうだ。写真のレタッチもその線で理解すれば、やはり「心理的+機能的陳腐化」との関連で捉えられる。自分を良く見せる手段は、みんながやり出せば陳腐化する。そうすればまた新しい手段を売ることができる。ガルブレイスのいう「依存効果 (dependence effect)」もこれと関係するだろう。すなわち、私達の「必要」は生産者が作り出すものであり、それはつまり陳腐化の速度もまた生産者の都合で左右されているのだ。
もちろん、新しいことはたいてい、それまでのものの陳腐化であるのだから、陳腐化そのものを非難すべきいわれはない。ただ、いつでも望むときにその流れから距離をおき、少しでも長く製品を使い続けることを選ぶ自由を、私たちは求め続けなけれならないだろう。何を「陳腐」とするかは、何を美しいとするのか、何を良いとするのかを決めるのと同様に、自分で決めたい。「修理する権利」の拡大を求め、また自身の修理技術を磨いているのは、その一端である。
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Markus Krajewski “The Great Lightbulb Conspiracy”, IEEE Spectram, 2014 ↩︎
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Pierre-Emmanuel Moyse “The Uneasy Case of Programmed Obsolescence”, Univ. of New Brunswick Law Journal, Vol. 71, pp. 90-94, 2020 ↩︎
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Arthur Shi “Batterygate: A Complete History of Apple Throttling iPhones”, iFixit News, 2018 (accessed on 2026.1.3) ↩︎
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Moyse 2020, p. 108 ↩︎
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バッテリーを交換すれば性能制限は不要となるため、ユーザー買い換えを急がずに済んだはずである。こうした点を突かれ、 Apple は最終的に総額1億ドル以上の和解金を支払う形となった。 (「iPhoneの動作速度低下問題、アップルが1億1300万ドルで和解」 CNN.co.jp, 2020 (acceded on 2026.1.3)) ↩︎
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ちょっと余談になるが、2009年に iPhone 3GS が発表されたとき、当時東洋経済の記者だった山田俊浩は、 3GS が iPhone 3G と同じ筐体に収められていたことについて、これを「『計画的陳腐化=モデルチェンジ』時代の終焉」であるとした。年1回モデルチェンジを繰り返す生態系に安住する旧態依然としたメーカーは支持を失いつつあり、環境問題をも視野に入れた長寿命製品が顧客の支持を得る流れに変化していると指摘し、製造業のあり方についての「歴史的な転換点」であるとしている(山田俊浩「アップル躍進が示す“計画的陳腐化”の終焉: 『モデルチェンジ』の時代は終わった」, 東洋経済オンライン, 2009 (accessed 2025.12.14)
その後の iPhone はご存知の通りで、コンスタントにモデルチェンジを続け、しょっちゅう画面サイズを変えてはアクセサリ製品の更新を促し、接着剤の多用でバッテリや保護ガラスの交換をますます困難にしていった。「モデルチェンジ時代の終焉」とはなんだったのか、と思ってしまうのはいかんともしがたい。 ↩︎
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Glenn Adamson “Industrial Strength Design: How Brooks Stevens Shaped Your World”, The MIT Press, 2005 ↩︎
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Vance Packard “The Waste Makers”, David McKay, Ch. 6, 1960 ↩︎
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Annamma Joy et al. “Fast Fashion, Sustainability, and the Ethical Appeal of Luxury Brands”, Fashion Theory, Vol. 16, Issue 3, pp. 273-296, 2012 ↩︎
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福地健太郎, 青山一真「VRメディア評論: 25年の時を経て甦った, コンピューターワールドのヒーロー SSSS.GRIDMAN」日本バーチャルリアリティ学会誌, Vol. 24, No. 1, pp. 19-20, 2019
これは VR 学会誌での議論なので、その背景にはもちろん、VR や AR による現実の美化が抱える倫理的問題についての議論があるのだが、ここでは省略する。詳しくは当該記事をご覧いただきたい。 ↩︎
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Kristina Wilson “Brooks Stevens, the Man in Your Life: Shaping the Domestic Sphere, 1935-50” in “Industrial Strength Design: How Brooks Stevens Shaped Your World”, 2005 ↩︎

