日本評論社『完全版 マーティンガードナー 数学ゲーム全集』を応援する
マーティン・ガードナーの『数学ゲーム』シリーズは、Scientific American 誌に連載されたパズルやゲームなど様々な遊びにまつわる数学的興趣を紹介したコラムをまとめたもので、数学コラムの金字塔とされている。
かつては講談社ブルーバックスに『数学ゲーム I』『数学ゲーム II』の2巻が収録されており、私はこの2冊に小学生の頃に出会い、ボロボロになるまで読み込んでいた。私の数学力は結果としてはたいしたものにはならなかったが、数学の世界に親しむことはできた。同書がきっかけで数学の世界に飛び込んだ数学者も少なくないそうだ。
ブルーバックス版はながらく入手困難となっていたのだが、2015年に完全版全15巻の計画が日本評論社から発表され、2017年までに4巻が刊行されたのだが、残念なことに続刊が出ていない。
もし刊行が止まっている理由が、売れ行きが芳しくないが故なのだとしたらそれは大変もったいない。全国の小中学校の図書館に同書を配備するだけでどれほどの素晴しい影響を未来の社会に与えうるか。そのためにもなんとか刊行を続けて欲しい。
という訳でここでは、同シリーズの魅力をお伝えし、続刊の刊行を応援したい。
『数学ゲーム』の魅力の一つは、話の引き出しの多彩なところにある。魔方陣や○×ゲーム、トランプや15パズルといった、なるほど数学と関係しそうだなと思えるものから、折り紙や組み紐、あやとりといった、数学と関連づけて教わる機会の少ないもの、果ては絞首刑を待つ死刑囚だのローラーに踏み潰される虫だのといった奇妙な題材から、ガードナーは手際よく数学を取り出して読者の前に並べていく。
しかもそれらの題材は時に意外な形でつながったり、より数学的思索を深めた形で再登場したりする。その様はまるで、通い慣れた小料理屋でこれといって高級という程でもない素材が店主の見事な調理で最高級の肴に変わるのを見るようである。
娯楽的読み物だからと手を抜かず、参考文献リストつきでしっかりと数学的背景について解説しているのも『数学ゲーム』が一線を画したところで、次のステップへと進む読者を後押ししている。
日本評論社版の翻訳編集についても賛辞を送りたい。
まず、訳注が凄い。原書では曖昧になっていた箇所や、あるいは原書出版後の進展について、詳細な補足が加えられている。なにせ監訳・訳者として、岩沢宏和と上原隆平という、数学にもパズルにも造詣の深い二人が参画している。かゆいところにも手が届こうというものだ。
また、関連書籍として、日本語で読めるものが種々加えられているのも嬉しい。原書は英語の参考文献が大量に掲載されてはいるのだが、やはりあまり慣れない分野の文献に目を通すなら日本語で読めるものがある方がありがたい。
さて、肝心の訳文はどうだろう。ブルーバックス版を訳した高木茂男の訳は、よくこなれて軽妙であり素晴しいものであったが、日本評論社版は、ガードナーの元々の文章に見られるちょっとした硬さがよく反映されてはいるが、横書きということも手伝ってか、ブルーバックス版ほどの軽さはない。とはいえここは賛否あるだろう。
が、少なくともこの一箇所については、圧倒的に高木訳を越えた、と断言していい箇所があるので、最後にそれを紹介する。
第4巻『ガードナーの予期せぬ絞首刑』収録の「パズル8題」に、マッチ棒6本を並べて作れる図形の、位相幾何学(トポロジー)的なバリエーションを題材としたパズルが紹介されている。詳細は省くがこの中で、あるトポロジー研究者がガードナーに「位相同型」という概念を教える場面がある。ガードナーはその研究者にある誤解に端を発する疑問をぶつけるのだが、即座にその誤解を解かれる。それに対してガードナーは
“I beg your pardon”
と非礼を詫びる。それへの研究者の返答が
“Don’t topologize ” (強調筆者)
と、’topology’ と ‘apologize(詫びる)’ の駄洒落になっている。
さて、高木訳ではこの箇所は以下のように訳されていた。
「申しわけない」と私は言った。
「どういそうしまして。」
同じ箇所が日本評論社ではこう訳されている。
「どういうことだい」私は言った。
「ここが大事なトポロだ」
高木訳の方が翻訳としては正しいのだが、駄洒落の馬鹿馬鹿しさに忠実な訳としては、こちらの方が上だと私は思う。
こんなところを強調することで応援になるかどうかはわからないが、みなさん日本評論社版『数学ゲーム』への支援をお願いいたします。