スティーブン・キング『ミザリー』に施された仕掛けと日本語版における組版ミス

先日、スティーブン・キングの『ミザリー』の原書を久々に読み返していたところ、いままで気付いていなかった、細かいが重要な仕掛けを発見した。その仕掛けは残念ながら日本語版では再現されていないため、これを知らない日本の読者も多いだろう。後で述べるが、キングは小説というメディアの特徴をうまく利用した仕掛けを施すのが好きな小説家であり、本書にもそれがよく表れている。訳者の矢野浩三郎と文藝春秋社はそれを高い水準で再現しているものの、画竜点睛を欠いてしまっているので、それを補うためにここでその仕掛けを紹介したい。

なお、本稿はその性質上、『ミザリー』の重要な筋書を(すべてではないが)バラしてしまっている。同書を未読の方は、ぜひここでブラウザを閉じて、先に同書に目を通していただきたい。『ミザリー』は、「モダンホラーの帝王」とまで呼ばれたキングが、現実を超えた存在ではなく、現実に存在しうる人間の恐しさを題材にしたもので、しかしながらその出来は、同書の凡庸な批評によくあるような「本当に怖いのは人間だよね」といった程度のものではない。小説で物語を語るということはどういうことなのか。いくつものベストセラーをものした小説家であるキングが、それを作中の小説家が小説を書く過程を通じて語ったのが同書である。それも、小説でしか表現できないような技巧を駆使して。面白くないわけがない。(なお、できれば電子書籍版は避けて、紙に印刷された本を買って読んでいただきたい。電子書籍版は後述する理由により、どうしても読み味が数段劣る)

『ミザリー』
スティーブン・キング著 (文春文庫)

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また、同書の原書も訳書もすでに読んでおり、なおかつその仕掛けを自力で発見したい、という人向けにヒントを書いておこう。主人公のポール・シェルダンが書いた作中小説『ミザリーの生還』の原稿において、手書き文字で表現されるべき文字なのに訳書ではタイプライター書体で表記されてしまっているものが、一字だけある。それだけだったら些細なミスでしかないのだが、これが最終盤の展開における、ポールが仕掛けた最大のトリックに関わる箇所なのだ。ぜひ、原書と訳書とを見比べながら読み返していただきたい。(ただし、これも後述するが、原書においても電子書籍版ではこの仕掛けが消えてしまっているので、やはり紙のものを入手していただきたい)

さて、『ミザリー』を読み終えた(あるいは再読し終えた)だろうか。それでは先へ進めよう。

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『ミザリー』は、ベストセラーの小説シリーズ『ミザリー』の作者であるポール・シェルダンが、ある家に監禁され、文字の欠けたタイプライターで作中小説『ミザリーの生還 (Misery's Return)』を執筆していく過程を軸に進行していく。その作中小説の原稿の一部が同書には掲載されているのだが、欠けた文字は手書きで埋められるため、その原稿はタイプライター書体と手書き文字とが混在しており、同書にはその体裁を再現した形で表現されている。次の図は、第2部6節に掲載された、“Misery's Return” の冒頭部分である。この時点ではタイプライターの故障は n の文字のみであるため、“MISERY'S RETURN” と、N のみ手書きとなっている。

このタイプライター、物語が進行するにつれて、まず t、ついで e の文字が欠落する。酷使されるせいか、英文でよく使われる文字の2位(t)と1位(e)とが相次いで失われたのである。

さて、そんな障害にもめげずに(それどころではない出来事が次々と彼の身に降りかかってくる)物語の最終盤にてポールは『ミザリーの生還』を完成させるのだが、ポールはその原稿を、主人公を脅して小説を書かせてきた敵役の目の前で燃やす、という行為に出る。敵役は慌ててその火を消そうとするところで物語はクライマックスに突入するのだが、そのときポールが燃やした原稿の1ページ目は、原書では次の図のように表記されている。

ご覧のように、タイトルの表記が “MISERY'S RETURN” と、n・t・eの文字が手書きになっている。この謎解きは後回しにして、今度は日本語訳でそれらがどう表現されているのかを見ていこう。

矢野浩三郎訳による日本語版では、タイプライターの文字の欠落について、ローマ字表記した際に n や t といった字を含む平仮名を手書き風書体で表記する、という形で表現されている。次図は文春文庫版での第2部6節に掲載された『ミザリーの生還』のタイトル表記だが、「の」や「ン」などの文字を手書き風書体で表記することで、n の欠落を表現している。

矢野の苦心の工夫は見事なもので、日本語訳におけるこの工夫は脚注や「訳者あとがき」含めてどこにも説明されていないが、まったく抵抗なくスッと頭に入ってくる。原文における t や e の出現頻度の高さ(なにせ単語の半分以上が手書きになるような語がゴロゴロしているのだ)が訳文で再現できないのは惜しいところではあるが、達意の訳といってよい。

では最終盤でポールが燃やした表紙の表記はどうなっているか。次図にその箇所を示す。

原書を再現するのであれば e の欠落を表現すべく、「シェルダン」の「ェ」も手書き風書体で表記すべきなのだが、先に示した、まだ e も t も欠落していない頃のタイプライターで書かれたものと同じになってしまっている。

さて、ではこれがどれほどの重大事なのか。原書では、ポールが燃やした表紙の表記からは e や t が欠落しており、つまりその表紙は物語の終盤近くになって新たに書かれたものであることが分かる。実はポールが燃やした原稿は書き損じなどを束ねたダミーで、本物の原稿は別に隠されていたことが後で明かされる。上図の箇所を注意深く読んでいた読者はその事に気付けるように書かれていたのだ(そういう私は30年それに気付かなかった訳だが)。しかし日本語版ではその仕掛けが再現されていない。それどころか、燃やしたのは本物の原稿であるという誤解を招きかねないのである。

キングは「モダンホラーの帝王」の呼び声も高く、恐怖表現の力量がまずは評価されているが、一方で、小説というメディアそのものに仕掛けを施すことも好んで行っている。例えば『デスペレーション』『レギュレイターズ』の2作は、同一の設定を二つのまったく別の小説として仕上げるということをやっており、片方の小説(『レギュレイターズ』)の方は、かつてキングが使用していた別ペンネーム「リチャード・バックマン」名義で書かれている。そのバックマン名義で過去に書かれた『死のロングウォーク』では、テレビのクイズ番組やスポーツ番組にちなんだエピグラフが各章の冒頭に掲げられているが、その一部は実際のものから改変されており、どうやらこれが小説の舞台となっている、ディストピア化したアメリカの表現に一役買っているようなのだ。映画化もされた『グリーンマイル』は、ディケンズの時代には当たり前だった分冊形式で刊行された。映画やゲームなど刺激的なメディアが溢れる世の中で、小説というメディアに何が表現できるのか、意識的に追い求めている作家なのである。

『ミザリー』のこのちょっとした仕掛けは決して軽んじてよいものではない。そもそもが小説内小説を、作中で書かれたものそのままにタイプライター書体と手書き文字とを混在させて掲載するという手の込んだことをわざわざやっており、そしてそれが故に成立している仕掛けである。極端なことを言えば、本全体の仕掛けがこの一箇所のためにあるし、小説だけが表現できることを追い求めた作家の、渾身の一撃がここに込められているのである…というのはまぁ言い過ぎにしても、この作品が、小説とは何であるかを考え続けたキングが捻り出した技巧的なものであることは間違いない。それは作中のクライマックスで地の文として書かれている、次の文にも表われている。

「これほど完璧な暗合は、人生ではめったに起きない。まさに小説だけが提供できる完璧さだ。」(強調筆者)

件の箇所はそうした、小説という表現形式をこよなく愛する作者の思いが込められた箇所なのだ。版元の文藝春秋にはぜひ、この一字の修正を期待したい。

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修正を期待したいと言えば、Amazon Kindle 版の『ミザリー』なのだが、手書き文字の箇所は太字で示されており、それが手書きで埋められた文字であることは紙面からは読み取りにくい。

英語版では手書き風フォントを使って表現されているので、日本語版でもなんとかして欲しいものである。

ただし、英語版では、ポールが燃やす表紙の表記は次図のようになっていて、前述の仕掛けが反映されていない。どうやらこの仕掛けは版元にさえなかなか気付かれにくいものであるらしい。両方とも出版社には報告をしたので、修正を気長に待つこととしたい。

なお、原文の確認には New English Library 社ペーパーバック版(1991年)・講談社ワールドブックス版(1995年)・Hodder & Stoughton社 Kindle版(2022年10月3日閲覧)、また日本語訳の確認には文春文庫版の第4刷(1992年)および新装版第1刷(2008年)、Kindle 版(2022年10月3日閲覧)を用いた。

2022.10.3