ビデオゲームキャラクターのまばたき表現について

電ファミニコゲーマー・しば三角氏による「ゲームキャラが初めてまばたきしたのはいつ?」という大変面白い記事に刺激を受け、まばたき表現の意義とその出自について考察した。「まばたき表現」の定義にもよるが、キャラクターが「生きている」ように感じられる演出を目指したもの、と解釈するなら、その嚆矢を1983年の『Gossip』と『Space Fury』であると本記事では結論する。

はじめに

電ファミニコゲーマーに掲載された記事「ゲームキャラが初めてまばたきしたのはいつ? 目パチするゲームを生み出し、アニメをゲームに持ち込んだのは『FF』を作った坂口博信だった!」(2019.1.18)がゲームファンの間で少し話題になった。いまどきのゲームではキャラクターの表情アニメーションが豊かであることを指摘した上でその起源はどこにあるのかを探るもので、オールドゲームファンの琴線に触れたのか、様々な反響を見ることができた。

同記事では、初出時はその起源を、スクウェア(現スクウェア・エニックス)の『WILL—THE DEATH TRAP II』(1985)に求めている。

ここで、同記事のライター・しば三角氏は、「目パチ口パクは、顔全部を書き直さなくともキャラをいきいきと見せるための技術だったのだ」と述べ、表現能力の低いメディアでも最大限の効果を発揮すべく工夫された表現としてのまばたきに的を絞って調査を進めている。まずこの着眼点が面白いと思うし、これはメディア論の題材としても色々と材料を提供してくれる、よい題材のように感じた。

そこで本エッセイでは、ここからどのような議論を取り出せるか、雑多に並べるとともに、まばたき表現の「起源」について、自説を述べたいと思う。

低コストで高効果な「自発性まばたき」

まず出発点として、いきいきとしたキャラクターを表現する上で、まばたきにはどのような意味があるのかを検討しよう。

一口に「まばたき」と言っても、ウインクもまばたきであれば、ビックリして目をパチクリ、なんてのもまばたきである。いったいまばたきにはどれほどの種類があり、その内のどのまばたきを以降取り上げるべきか。

広く使われる分類では、まばたきは以下の三つに分類される。

  1. ウインクのように意識的に行う「随意性まばたき (voluntary blinking)」
  2. 外からの刺激をきっかけとする「反射性まばたき (reflex blinking)」
  3. 上記のような要因がなくとも自発的に起きる「自発性まばたき (spontaneous blinking)」

さて、しば三角氏が示した問題設定に沿うと、ここで対象としたいのはグラフィック能力をあまり必要とせず、低コストでキャラクターに生命感を与える手法としてのまばたきである。すなわち、目の開閉だけという手軽さがここでは大事になってくる。

となると、1の「随意性まばたき」はいったん対象から外すのが妥当だろう。というのも、意識的な演技、例えばウインクをするとなれば、目の開閉運動だけで演出を完結させるのは難しいからだ。口も動かさねば魅力的なウインクにはなり難いだろうし、そのキャラクターがウインクをするきっかけをその前に示しておかないと芝居にならない。そうするとどうしてもまばたき以外の演技が求められてしまうため、「低コスト」という前提をクリアできないのだ。

そして、同じことが2の「反射性まばたき」についても言える。なにかの刺激、例えば光や風などの物理的刺激や、驚きや怒りといった精神的刺激に対してキャラクターにまばたきをさせるのは、とても効果的な演出ではあるのだが、一方でそうした刺激の存在を事前に観客に見せておく必要が生じる。物語上の必然があるのならともかく、ただキャラクターの生命感を演出するためだけに外部刺激を用意するのは、やはり「低コスト」という前提と衝突してしまう。

一方、3の「自発性まばたき」の利点は、そうした一切の演出が不要であり、ただ単に周期的に目の開閉アニメーションを見せるだけで生命感の演出に貢献できることにある。

という訳で、以降は「自発性まばたき」に絞って話を進めることにしよう。

なお、この観点に立つと『フリスキートム』(日本物産, 1981) はいったん候補から外して考えた方がよさそうだ。ゲーム中に登場する、バスタブで入浴している女性が目をつぶる動作はゆったりとしたもので、「まばたき」には該当しない。また場面中は一回きりの動作であり、随意性あるいは反射性の動作に近い。口の動きもあわせた、一連の演技として表現されていると捉えた方がよさそうだ。

また、『I, Robot』(Atari, 1983) の目玉も外した方がよいだろう。動作自体は周期性があり、自発性まばたきの一種と捉えられなくもないのだが、そもそもこの目玉は閉じている時間の方が長いし、加えて目を開けるのに2秒近くかかっており、一般的なまばたき動作が開閉あわせて0.1秒しかかからないのに比べるとかなり遅い。もちろん、非人間型キャラクターにおけるまばたき動作に人間の常識を当てはめるのもおかしな話だが、ここではあくまでも人間が感じられる生命感に話を絞りたいので、パッと見て「まばたき」と捉えられない動作は対象外としよう。

自発性まばたきの頻度(瞬目率)とキャラクター表現

ところで、その「自発性まばたき」をキャラクターにさせることに、演出上の効果は本当にあるのだろうか、という疑問が出るかもしれない。が、これについては多くの研究によって裏付けられている。

日本語ですぐ読める文献としては、関西学院大学の大森らによる「対人認知における瞬目の影響」(1997)がある。これによると、人と人とが対面する条件下では、相手の瞬目率(自発性まばたきの頻度)によって受ける印象が様々に影響されることが示されている。例えば瞬目率が低いと意志の強さや活発さが感じられ、かつ親近性が高くなるという。また、後続の研究では、瞬目率は18回/分をピークとして、下がり過ぎると親近性が低下して感じられるという現象も報告されている。

CG キャラクターを題材に検証したものでは、大阪大学(当時)の高嶋和毅らによる「人の印象形成におけるキャラクタ瞬目率の影響」(2008)という論文が興味深い。同論文では、CG キャラクターを対象に瞬目率を様々に変え、そのキャラクターに対する印象がどのように変化するかを調査している。それによると、人型のキャラクターの場合は大森らの研究と同じ結果が得られており、さらに動物型や「未知の生物」型においても、その影響は弱いながらも観測されることが示されている。

これらの研究からもわかるように、まばたきアニメーションはキャラクターに対する親しみやすさを演出するのに役立ち、またその頻度によってキャラクターの性格についても演出を加えられることがわかる。

テレビアニメーションにおけるまばたき表現

話をビデオゲームにおける自発性まばたきに戻す前に、もう一点、検討しておきたい条件がある。ここで引き合いに出したいのは、先行メディアであるところの「アニメーション(アニメ)」だ。というのも、しば三角氏が指摘した、「最低限」のアニメーションで「キャラクターをいきいきと見せる」表現は、まさしくアニメーション映像において活用されているからだ。

とはいえ、筆者はアニメーション史については詳しくなく、また手頃な資料をすぐには見付けられなかったので、本エッセイではおおまかなところを示してお茶を濁しておく。精密な調査は後続の研究に委ねたい。

有名作品をざっと眺めてみた限りにおいては、ディズニーの『蒸気船ウイリー』(1928)では、キャラクターが目を閉じる箇所はあるものの、いずれも「随意性まばたき」に属するもので、自発性まばたきに該当する場面は見当たらなかった。『ポパイ』(Paramount Pictures, 1933)にも、ウインクはあってもまばたきは見つけられなかった。少し時代が下った『ベティ・ブープ』(Paramount Pictures)だと、1936年の "You're Not Built That Way" に、反射性まばたきと言えそうな表現が見られる。この作品におけるベティや子犬のプーチのまばたきは、キャラクターが驚いている様を表現することが目的のようである。特に事件のない場面では、彼等はまったくまばたきをしない。

一方、ディズニーの『白雪姫』(1937) では登場キャラクターの多くにまばたきの演出が見られる()。随意性・反射性のまばたきも多いが、自発性まばたきと捉えられそうなものも少なくない。ただ、『白雪姫』のまばたきは「低コスト」という条件にひっかかる。表情のすべてが滑らかにアニメーションしており、目のみを動かして生命感を演出する手法とは言いがたいのだ。まばたき表現の研究、という意味ではこの路線の調査も重要ではあろうが、ひとまず対象外としておこう。

「低コスト」にこだわるのであれば、画面の一部を動かす「リミテッドアニメーション」の手法を用いたアニメーション作品を見ていくのがよいだろう。その具体的な起源を探すのは筆者の手に余るので、該当事例をいくつか挙げるにとどめておく。まず海外作品で、ハンナ・バーベラプロダクションの『The Flintstones』(1960-1966)に自発性まばたきが観察できた。制作スケジュールの制約が厳しいテレビアニメーションでは、顔の一部のみ動かすリミテッドアニメーションの手法が多用される。中でも、セリフにあわせて口のみ動かす「口パク」と併せて、まばたきがよく使われる。†1

さて、日本ではどうか。『鉄腕アトム』(虫プロダクション, 1963-1966) はよく日本的なリミテッドアニメーションの嚆矢として挙げられる。ただ、ネットにあがっている映像だと自発性まばたきの事例は見当たらなかった。ちゃんと原本にあたれば事例はあるかもしれないが、今回は省略する。ざっと調べて見つけられたのは『魔法使いサリー』(東映動画, 1966-1968) の事例で、顔の他のパーツはいっさい動かさず、目のみを動かしているのがよくわかる

ビデオゲームにおけるまばたき表現

以上の観点から『WILL』の表現をあらためて検討してみよう。

この場面に写っているキャラクターは「アイシャ」という名前のアンドロイドで、このアニメーションはカプセル内で停止していたアイシャを復帰させた際のものをタイトルに流用したものである。そのため、このまばたきは「覚醒」の演出であると考えるべきだろう。自発性というよりかは反射性まばたきと分類すべきかもしれない。その意味では、同作品のシリーズ最終作『アルファ』(スクウェア, 1986) や、件の記事で追記されている『TOKYO ナンパストリート』(ENIX, 1985) の方が自発性まばたきの事例としてよりふさわしいだろう。

これらより古い事例では、クリス・クロフォードによる幻のゲーム『Gossip』(Atari, 1983) がある。プレイヤーが操るキャラクター1名とコンピュータが操るキャラクター(NPC)7名の総勢8名が、電話を通じてゴシップトーク合戦を繰り広げるというゲームである。ゴシップといっても具体的に誰がどうしたという情報は表示される訳ではなく、電話越しに第三者を褒めるか貶すかするのみである。このゲームのメイン画面には全キャラクターの顔がズラリと並ぶのだが、よく見ると自発性まばたきをしていることがわかる。

低解像度グラフィクスであるが故に、「まばたき」といっても目を表わすピクセルが 2×2 から 1×2 に変化して戻るだけなのだが、これがまばたきであることは十分にわかる。

『Gossip』の作者、クリス・クロフォードは、表情による演出に強い関心を持っていたゲームデザイナーである。多摩豊『コンピュータゲームデザイン教本』(Login Books, 1990) によれば、クロフォードは次のようなことを主張している。

人工人格、これが今僕がもっとも興味を持っている問題だ。 たとえば映画を作ることを考えてみよう。人間の顔がひとつも出てこない映画、こんなものが想像できるかい? (略) いくつかのコンピュータゲームには、<顔>は出てくる。だけどこの顔には表情がない。今必要なのは、ディスプレイ上に人間の表情を作り上げる方法を考え出すことだ。怒ったり笑ったり喜んだり泣いたり、キャラクターがこういったことをできるようにするのが今の僕のテーマだ。

この発言がいつのものかは同書に記されておらず、どの時期の考えなのかはわからない。ただ、クロフォードは『Trust & Betrayal: The Legacy of Siboot』(Mindscape, 1987) というゲームで、プレイヤーに操るキャラクターの表情をエディットさせたり、相手キャラクターの表情から相手の状態を読み解かせるという仕組みを試している。そのように、キャラクターの表情について強い関心を持っていたからこそ、自発性まばたきがキャラクター演出に役立つことを感じとっていたのではないだろうか。

他に事例はないかと思って、目の描写の印象が強いベクタースキャンゲーム『Space Fury』(SEGA, 1981) の映像を確認してみたのだが、まばたきはしていなかった。ところが、同作品の家庭用ゲーム機への移植作(1983)では、異星人の顔ということではっきりはしないが、自発性まばたきらしき表現が確認できる。

これを本当に「まばたき」と解釈してよいかどうか議論の余地はあろうが、キャラクターの生命感の演出にはつながっているとしてもよいだろう。

どちらの作品が最初に世に出たのか、詳しいことはわからない†2。今回の調査ではひとまずこれらを、低コストの自発性まばたき表現の嚆矢としておきたい。 †3

さらなる議論

さて、まばたき表現の起源探しについてはひとまずここで終える。ただ、ここまでの道程において、面白そうなトピックが色々と見つかっており、どうやらそのほとんどが未解決のままだ。

ここからは、まばたき表現にまつわる興味深いトピックについて整理しておこう。

自発性まばたき以外のまばたき表現

本エッセイでは、まばたき研究の分類をそのまま借りてきて「随意性」「反射性」「自発性」の三種にまばたきを分類し、その内の自発性まばたきに対象を絞って調べた。目の開閉だけで済み、まばたき前の演出を必要としない低コストな表現、という問題設定に対してはおそらくこれが妥当なところだろうと、一通り調査を終えた後でも筆者は考えている。

しかしながら、キャラクターの生命感の表現においては、反射性まばたきの効果も見過せない。

アニメーションの世界では、キャラクターの内面や性質の表現は「アクション & リアクション」の描写が基本となる。キャラクターに対する外からの刺激に対して、そのキャラクターがどう反応するか。それを描くことで、そのキャラクターが勇敢なのか臆病なのか、強いのか弱いのか、好意があるのかないのか、を間接的に表現するのである。

反射性まばたきもこの観点から重要な演出手段であると考えられる。例えば、反射性まばたきは驚きの表現としてよく用いられている。これを応用して、プレイヤーの入力に対して、対面しているキャラクターに反射性まばたきをさせれば、その入力がそのキャラクターにとって意外なものであった、ということを演出できるだろう。

反射性まばたきがゲーム演出でどのように使われてきたかを調べるのは、ゲームにおけるキャラクター表現の歴史を探る上で重要なテーマになりうるだろう。

瞬目率と演出

自発性まばたきの頻度(瞬目率)とキャラクター表現」の節で触れたように、瞬目率はキャラクターの印象に影響を与えることがわかっている。では、自発性まばたき表現を取り入れた数々のゲームにおいて、その瞬目率はどれほどに設定されていたのだろうか。また、キャラクターの性質に応じてそれが変えられていた形跡はあるだろうか。

先の『Gossip』の例だと、ビデオを見る限りでは通常時はだいたい5回/分、発話時は120回/分くらいのようだ。キャラクター間の瞬目率の違いはわからない。『アルファ』のタイトル場面では、20回/分だった。

最近のゲームだと、ゲームエンジンやフレームワークで自動的にまばたきを制御できるようになっており、多くのゲームが自発性まばたきを採用している。アニメーションフレームワークの『Live2D』を導入しているゲームではそれが顕著に見られるようだ。同フレームワークでは瞬目率やそのばらつき具合も調整できる。キャラクター毎に設定を変えている作品もあるだろうから、そのあたりを探ってみるのは面白そうだ。

まばたきは「かわいい」?

元となった記事では、そのほとんどが女性キャラクターのまばたき表現について言及している。また、筆者の調査でも、女性キャラクターの方が、まばたき表現が用いられている例が多いような印象がある。アーケードゲームでも『モモコ120%』(ジャレコ, 1986) や『雀遊記』(ダイナックス, 1988) の事例が挙げられる。

女性キャラクターではないとしても、『三輪サンちゃん』(SEGA, 1984) や『アレックスキッド・ザ・ロストスターズ』(SEGA, 1986) 、『ぷよぷよ』(SEGA/コンパイル, 1992)など、全体的に「かわいい」キャラクターものに、まばたき表現が目立つ印象がある†4

こと日本のビデオゲームにおいては、まばたき表現が取り入れられ始めるのが、いわゆる美少女キャラクターやかわいい系キャラクターから順に進んでいったということなのかもしれない。ただ、例えば『バラデューク』(ナムコ, 1985) のように反例もあるので、調査は慎重に進める必要はあるだろう。

このあたりは、アニメーション史と並べて調べつつ、比較文化論の領域で扱うと面白いかもしれない。

おわりに

電ファミニコゲーマーの記事に端を発した「まばたき」表現の探索は、今回はここまでとしたい。

自発性まばたき表現を取り入れたビデオゲームの嚆矢はどれか、という問いに対しては、すでに述べたように『Gossip』と『Space Fury』を筆者は挙げた。

しかし「まばたき」表現にはまだまだ面白い問題が隠されている。それは単に「最初にそれを使ったビデオゲームはなにか」という問いに留まるものではなく、アニメーション映像を始めとする他メディアを巻き込むことになるだろうし、心理学や認知科学の知見ももっともっと取り入れるべきだろう。

大変重要な問題提起をしてくださった、しば三角氏および電ファミニコゲーマーにはあらためて御礼申し上げたい。

追記

Sigma の 1981 年作品 "Spider" で、ウインクをする人物のアニメーションがあることを QtQ 氏にご指摘いただいた。(2019.1.25)

この女性がゲーム内容とどう関係するのかはまったく不明、というのがまた凄い。

2019.1.22

†1
余談ながら、この「口パク」を実現するコストすら削減するため、口の部分のみ実写を合成する「Synchro-Vox」という手法がある。この手法を採用する作品は全体として動きがほとんどなくなってくるため、もはやアニメーションと呼べるかどうかすら怪しいものも多いのだが、そんな作品でもまばたきは使われていたりする。例えば『Clutch Cargo』(Cambria Production, 1959-1960) だと、セリフ一つにつき一回のまばたきを入れる場合が多い
†2
『Gossip』はそもそも世に出てないという扱いを受けることもあるが。
†3
評価が難しい例として、『Mouse Trap』(Exidy, 1981) がある。主人公である犬の片眼が周期的に開閉しているようにも見えるが、片眼だけだと自発性まばたきとしては扱いにくいように思えたので、今回はこれは対象外とした。
†4
SEGA 作品が並んだのは、おそらくは偶然というか、筆者の調べ方の問題だろう。