本棚は「入手した順」に整理すべし
本棚に本をどう並べるか。タイトル順で並べる、著者順に並べる、背の順に並べるなど色々提案されているが、どうしてみんなこの順に並べないのだろう、と思わずにいられない最高の方法を紹介したい。それは「手に入れた順」だ。
「手に入れた順」というのはつまり、買ったり貰ったりした順にそのまま棚に並べていく、という単純な方法だ。「読み終えた順」でもだいたい同じなので、それでもよい。分類やらなにやらに頭を悩ませる必要のない、単純な方法である。無意識にそれを実践されている方も少なくないだろうが、ならばぜひそれをそのまま維持されたい。
「手に入れた順」がなぜよいか。それは、本棚から適当な一冊を選んだとき、その左右に並んでいる本を見れば、その本を読んでいた当時に自分が他にどんな本を読んでいたのかが目に入り、様々な記憶が蘇るためである。『失われた時を求めて』の<私>が紅茶に浸したマドレーヌを口にしたときのように、当時どんな本を、どんな場所で読んでいて、なにをしていたか、なにを考えていたか、そういった記憶が、手に入れた順に並んだ本の背表紙を眺めていると一気に押し寄せてくるのである。
そしてそれは、他の方法で取り戻すのはなかなか難しい。

例えば、私の本棚のある箇所には、『レッドオクトーバーを追え』の文庫本上下巻が並んでいる。その右隣、つまりその後に入手した本に『ミリタリーイラストレイテッド5: 米ソ原子力艦隊』なる本が並んでいる。いずれも中学生の頃に手に入れたものだ。『レッドオクトーバー』の方はたまたま店頭に並んでいたものを面白そうに思ったので買ったのだが、すぐに潜水艦戦の面白さに引き込まれた。自分でも潜水艦戦を題材にしたゲームを作ってみたくなり、その資料として『米ソ原子力艦隊』を買ったのだった。
『レッドオクトーバー』の左隣には『フィン・マックールの冒険』という、アイルランドの英雄伝説を扱った本が並んでいる。ファンタジーRPGに興味を持っていた頃で、やはりネタ探しに色々と漁っていた頃に入手したものだ。そのさらに左隣には『指輪物語』が並んでいる。同じ棚には並べてないが、入手順ではその左に『RPG幻想事典』が並ぶことになる。
自分には作りたいものはなんでも作ることができる、やりたいことはなんでもできると思っていた頃の記憶が、これらの本を眺めているとありありと蘇ってきて、微笑ましくもあり、苦々しくもありの、複雑な感情が沸き起こってくる。
ふたたび棚を右に辿れば、スティーブン・キングの小説が何冊も並んでいる。最初に入手したのは『死のロングウォーク』でおそらく間違いないと思うが、その後しばらくはキングに夢中で、扶桑社ミステリー文庫に収められていたものを、一冊読み終えては本屋に行って一冊買ってくる、というのを繰り返していたのを思い出す。
こんな感じで、棚に並んでいるそれらの本を当時どのような動機で買ったのか、どんな興味を持っていたのかが、「入手した順」に本が並んでいる棚には可視化されるのだ。同じようなテーマの本や同じ著者の本が並んでいるところを見ると、当時の自分の熱量のようなものが見えてきて、なんとも嬉しくなってしまう。
自分の場合、残念ながらこれまでに何度か、「本棚を綺麗に/格好よく整理したい」という誘惑に負けて、著者別やジャンル別に分類した箇所があったり、引越しのときに順序を崩してしまった箇所があったりするため、「入手した順」は正確には保てていない。それでも、部分的には残っている箇所があり、そこにはかけがえのない、貴重な情報が埋め込まれている。
書名順だの著者順だのに並べるのはもうやめよう。そんな、誰にとっても同じような意味しか持たない情報は、自分の本棚には不要だ。目当ての本を素早く見つけたいのなら、図書館へ行けばよい。自分の本棚には、自分だけの情報を揃えた方がいい。
なお、本の大きさが不揃い過ぎて並べたときに無駄な空間が生じるのを厭うのであれば、単行本と文庫本とで棚を分けるくらいはしてもいいだろう。
ちなみに、この「入手した順」に並べた本棚を持つことの愉しみの一つに、いったいなぜこの本がこの場所にあるのか、どうしても思い出せない本が棚の中に見つかることがある。誰かに貰ったのか、それともどこかで拾ったのか、思い出そうにも左右の本の並びにそれを思い出す手がかりが見当たらない、そんな本がときどきあるものだ。
脈絡もなく自分の人生に割り込んできたそんな異分子が、自分の人生をどれほど豊にしてきたか、想いを巡らせるのもまた愉しいものである。