ほぼほぼ(数学)
数学の分野で「たかだか」という表現が使われることがある。元々は日常的な言葉だが、数学的にはそれなりの厳密な定義がなされていて、日常語としての「たかだか」とは少々用法が異っている。日本語版 Wikipedia では「高々(数学) 」と、「(数学)」つきで項目が設けられており、そこに日常語の「高々」と数学における「高々」との違いを示す秀逸な例が記載されているので参照されたい。
さて、それを眺めていたら「ほとんど(数学) 」という項目もあることに気づいた。こちらも厳密な意味が定義されていた。
そんな記事を眺めている内に、もしかしたら僕らが日常的に使っている言葉のほとんど(数学)に、知らぬまに数学での用法が定まっているのではないか、と妄想が始まった。
例えば「いささか(数学)」とか「ほぼほぼ(数学)」とかが決まっていて、数学者との会話で「原稿はほぼほぼ(数学)出来てます」とか言われても、額面通りにそれを受け取ってはいけないのかもしれない。
2016.11.2
関連記事
プログラミングを学ぶ過程において、抽象度の低い、コンピュータの現実の実装に沿った言語で学ぶべきか、それとも数学的概念からプログラムを理解できる、抽象度の高い言語を使うべきか。大学でプログラミングを教える立場からの考察だが、結論はない。ただた …
論文や解説記事なんかで、あるいは講演で、哲学や数学などの分野から概念を借りてきて説明したりすると、「なぜわざわざ専門用語を使ったりして話を難しくするのか」と言われたりすることがある。さらには「本当に分っているならもっと平易に言えるはずだ」な …
先日、学生さんが国際会議で発表された論文を紹介する場に居合わせたのだが、論文中で提示されていた問題について「著者はこれを『邪悪な問題』と呼んでいます」と言っていて、しばらく意味が分からなかった。
靴下はすべて同色同形状に揃えておくと、洗濯して靴下を整理する際にいちいちペアとなる靴下を探さずに済むので効率的だ、という説がある。確か、どこだかの数学者のエピソードとして、昔読んだ本に紹介されていたように思う。
岩波書店が文庫本などに挟んでいるしおりで、「『広辞苑』を散歩する」と題した短文を載せたものがあるが、その中の一つで「無洗米」を取り上げている。『広辞苑』の第六版であらたに収録された言葉である。