2011年3月11日のタイムカプセル
先日、福島県双葉群の浪江町を訪問する機会があった。原発事故の影響でながらく立ち入り禁止になっていたが、現在は「避難指示解除準備区域」に指定されており、日中の立ち入りはできるようになっている。
放射能汚染のために復旧作業もままならず、地震直後の被災状況がそのまま残されている。そんな町のとある場所で、3月11日付けの新聞を見付けた。

発見したのは、日本経済新聞の3月11日第12版。当然のことながら、大震災や原発事故の記事はまったくない。

新聞のおもては5年分のホコリをかぶってくすんでいたが、中は綺麗なままであった。

10日の日経平均は10434.38円。「私の履歴書」は安藤忠雄。目立った記事に、坂上二郎死去、ソニー副社長に平井氏昇格、はやぶさサンプルがイトカワ由来確定、ニュージーランド地震詳報など。
浪江町への避難指示は明けて12日から。町内の新聞店のガラス戸越しに、ゴミ袋に詰められた12日付けの新聞が見えた。

こうやってあらためて11日と12日の新聞を見比べてみて、我々はなんと遠いところへ来てしまったのだろうと、胸がつまる。
いま、11日付けの新聞を見返しても、当時と同じように読むことはもはやできない。ものごとの見え方は、大きく変わってしまった。もちろん、それまでにも兆候はあっただろうし、積もり積もったものが一気に噴出した、という捉え方もできるだろう。3月11日は、象徴的な意味においても、この国に横たわる大きな活断層が明らかになった日と言えるかもしれない。
同じ日に、津波被害の大きかった請戸漁港をたずねた。道路と家々の土台、わずかに残った家屋やビル以外は、青々とした草が繁茂していた。

別の日に南相馬市を訪問中、もともと地元の人気のラーメン屋でながらく別の場所で仮設営業をしていた「双葉食堂」が元の場所で営業再開したばかりのところに出会ったので、醤油ラーメンをいただいてきた。再開を喜ぶ大勢の客を迎えるため、自宅の居間まで開放して営業していた。昔ながらの中華そば、という感じでとてもうまかったです。

(上掲の新聞は、浪江町の避難指示が完全解除になるまでそこにあり続けて欲しいと思い、元あった場所に戻してあります。後は町民の皆様のご判断に委ねます)