ポケモンGoのデザインは「歩きスマホ」を促しているか否か問題
ざっとネットに出ている論調を見てみると、ポケモンGoが「歩きスマホ」を抑制している点として、
- 画面を見ていてもメリットがない
- やせいのポケモン出現は振動で知らせる
- やせいのポケモンとのバトルは立ち止まってやらないと難しい
- ポケストップやジム周辺での滞留を誘導
などが挙がっている。
しかしこれらは、プレイヤーがみなロジカルに行動するという前提があって成立するもので、そして人はときとしてまったく非合理的に行動するものである。
「自分が見ていないときに、レアなポケモンがこっそり出ているのかもしれない」
「いつの間にか知らないポケストップが新しくできているかもしれない」
「やせいのポケモンが出たらすぐに捕まえた方が、イキのいいのが捕まえられるかもしれない」
そうした憶測は、短期間であれば、一見それを裏付けるように見える事象が発生したりする。そうなるとこれを合理的に疑うのが難しいのは、心理学における数々の実験が実証している。疑問を晴らすには、長期間ゲーム画面を見続ける経験が必要となる。
大昔、「ゼビウス」というゲームで、破壊不可能なキャラクター「バキュラ」を壊そうとしてボタンを連打し、ありもしない宇宙面を探してナスカの地上絵を攻撃しまくったのが、ゲーマーという人種である。オンライン麻雀ゲームで、牌はランダムに配られているにも関わらず、「配牌が操作されている」という疑念を拭えないのが、人というものである。(他人事のように書いてますが僕自身、「ダライアス外伝」のランダムボーナスで得点を向上させる技があると主張した経験あり)
どだい、もしみんなが合理的に振る舞うというのであれば、歩きながらツイッターをやったりする理屈はないのだ。いまや人は、ただ何もしないで歩いている、ということに耐えられなくなりつつある。そこに、とりあえず歩いているということに反応して画面になにがしかの変化が生じるゲームが掌中にある。画面を見ない理由がむしろない。
小手先のUIデザインがどうあろうと、スマホを使っていて、GPSと連動してそこらじゅうにやせいのポケモンがいる、という時点で、ポケモンGoは歩きスマホを促進している、とせねばなるまい。
なお、ゼビウスの嘘技のようなものは、誰も成功したものが出なかったため、やがて「あれはデマだ」という理解が浸透し、さらには後年 ROM 解析によってもそれが裏付けられたことで、いまでもそれを信じて挑戦している人は出なくなった。
同様に、ポケモンGoも、画面を見ていてもメリットがないという理解が広く浸透すれば、あるいは狙い通りに歩きスマホを抑制できるようになるかもしれない。
いまは、それが成就するのが早いか、熱狂から醒めたライトユーザー層が離れて問題が沈静化するか、の競争段階にあるのだろう。
ただ、「メリットがない」ということのみ強調しても声は届くまい。なんとなれば、ポケモンGoをプレイすること自体が、極論すればなんのメリットもない。そしてメリットのないことを好んでやるのが、人間というものだからだ。