人工知能とキャッチコピー
ちょっと前に「人工知能と創造的行為」という一文を書いた。キャッチコピーを人工知能が書けるか、という話題に対して否定的に書いたものなんだけど、「書けるよ」ってな話があがっていた。
この記事では、広告メールやバナー、Web ページで使われるようなメッセージを自動生成するソフトウェアが登場したと述べられている。様々なフレーズに対する人間の感情的な反応をデータベース化し、そのデータを利用して人が好みそうなメッセージを構築する力があるという。人間のコピーライターとの比較では圧倒的な成績を収めたとのことだ。
なんというか技術の進歩は恐しいもんですなあ、というところだが、僕が以前否定的に書いた記事というのは、一級品のコピーを人工知能が書けるか、さらに言うなら人工知能が書いたコピーを、それがどれほどよいものだとしても、人がそれを一級品として扱ってくれるだろうか、というところを論点にしたものであり、その観点からいくと件のソフトウェアはまだその域には辿り着いていない。実際、ソフトウェアの開発者は「“Just Do It” のような(優れた)ものを作り出す広告業者を置き換えるようなものではない」と述べている。
とはいうものの、やはりはたしてその牙城もいつまでもつか、とつい考えてしまう。というのも、似たような構図ですでに人工知能、というかコンピュータソフトウェアが人間を凌駕しつつあるものはいくらでもあるからだ。
コンピュータが人間を凌駕するなんてそんなものいくらでもあるじゃないか、とお思いの方もおられるだろうが、ここはその構造のところの話で、つまりソフトウェアが生み出したものを誰が評価し、その評価を誰が重んじるか、というところ。
例えば株。もはや株の売買なんてのはコンピュータどうしのやりとりになってしまって久しいが、これは状況としてはもう、「コンピュータが人の判断を推測する」という段階から「コンピュータがコンピュータの判断を推測する」というところまで来ている。
コピーの話も似たようなところがあるかもしれない。というのも、コピーを読んで判断するのが人間であり続けるという保証はないからだ。いまや僕らは氾濫するコピーの山の中から、どれが自分にあうのか判断するのを面倒くさいと感じている。適当に検索して、一番上に出てくるものを買っちまえ、となることも多い。となれば、じゃあいったいどのような判断基準で検索結果を並べるかにかかってくるわけで、そしてそれはすでにコンピュータの処理に任されている。
となるとだ。コンピュータが書いたコピーをコンピュータが判断し、人間はそれをポチリとやるだけ、という展開も起こりうる。このサイクルが加速されれば、コンピュータにわかりやすい、コンピュータが感動するようなコピーというのがやがて上位に並ぶようになり、その価値観に人間が追随していく、ということになるだろう。そうなればもう、人間のコピーライターは振り切られてしまう。
もちろん今はまだ、普段の生活でふと目にするのがコピーの消費のされ方であり、判断の基準はまだまだ人間にあるのでそう簡単には様相は変わらないとは思うけど。
こんな構図は、他の業界にもどんどん見られるようになっていくだろうな。