THETA雑感:画角の作為
リコーのTHETAという、周囲360度に上下も加えた全球写真が撮れるカメラをいろいろといじっている。例えばこんな写真が撮れる。
とにかく周囲の景色がまるまる撮れてしまうので、カメラをどこに向けるかを考えずに、とりあえず頭上にかかげてシャッターを切り、あとでそれをクルクル回して眺めればよい。
この「カメラを向ける」という行為、すなわちそこにあるどんな情景をカメラの視野に収めるか、という取捨選択がなくなったことが面白い。写真は、どの場所で、どのタイミングに、どの景色を切り取るのか、そこに作為が生じるのだけど、そのうちの「どの景色」という選択が消えたのだ。
撮影された全球写真はそのぶん、残りの二つの比重が増しているように見える。特にそのうちの「場所」の切り取られ方に重みを感じる。いったいそこはどんな場所なのか、写真をクルクルと回して能動的に周囲の状況を読み解こうという気になる。
厳密なことを言えば、URLをクリックして最初に画面の中央に表示される方角が、シャッターを押したときにカメラの正面が向いていた方角になるようにこの閲覧ソフトウェアは設計されているので、そこに作為を生み出すことは可能だ。これはこれでよく練られた設計だと思うのだが、最初の方角をランダムにして、作為をできるだけ取り除いてみてみたいとも思うのだ。
それでも、実は視線を下に向けるとそこに撮影者本人がいるため、その表情や視線に撮影者の意図がどうしても組込まれてしまうのだけど。