トンデモ + アンビエント = トンビエント
いわゆるトンデモ系(似非科学)について、「何故科学者はちゃんと反論しないのか」というような指摘がされることがあるが、一般的には
- 反論したところで業績になるでもなく、時間をとられるだけ
- 相手はもともと科学の土俵に乗っておらず、最後は信念・信仰の領域に退避されてしまうのである意味反論不可能
といった理由があるためか、真面目に相手をする人は少ない。
さて、インタフェースの研究で、「アンビエントもの」と称される分野がある。 「アンビエント」というのは情報が環境に溶け込んでいる状況を示したもので、 身近な例でいえば、建物の外で急に天候が悪化した場合、窓から入ってくる明かりが暗くなり、 場合によっては雨風が窓を叩きつける音がして、我々はそれを知ることができる。 「アンビエントもの」ではこれをもっと積極的に利用し、文字や記号などを用いない情報を環境に人工的に埋め込んで提示しようとするものである。
僕は、基本的な概念としてはそれも一つの方法だな、と思う。 文字やグラフなどの情報ってのは常時どこかに提示されていると、 視野がざわついてしまう。視線がひっかかりやすいのだ。これは新幹線に乗ったときなどによく思うのだけど、新幹線の車内には広告がほとんどなく、新幹線独特の落ち着きを醸し出している。山手線の車内みたいに文字情報に囲まれた世界というのはどうにもこうにもうっとうしい。
がしかし、「アンビエントもの」の研究では、大変馬鹿らしいものが量産されているのも一方で事実なのである。 かつて実際に発表された商品で、人の感情をセンサで読み取り、ネットワーク越しにその「喜び」や「悲しみ」といった情報を LED の色で表現するというものがあった。彼等はこれを30万だか40万だかで売るつもりだったらしいが、その後とんと話は聞かない。 まあそもそも今のセンサ技術で人の感情を読み取れるとまさか本気で考えている人もいるまいが、 仮にそれができたとしても人の感情を「怒り」「悲しみ」「喜び」「平常」という安易な分類で弁別し、 それをこれまた安直に色にマッピングして表示するというこの愚かなアイディア。 でもね、アンビエントものの研究ではこれに及びもつかない馬鹿らしいのがまだまだいっぱいあるんですよ。 特に、上の例のような遠隔への情報提示(テレプレゼンス)ものに多い。
しかし「馬鹿らしい」という意見をれっきとした学術研究相手に表明する以上、 「何故ダメなのか、ちゃんと説明しろ」と言われるだろう。ルール上も道義上もまぁその通りだ。しかしその理由を説明するのは、冒頭に書いた、 トンデモ系科学に反論をするのと同じ空しさがつきまとうことが経験上わかっている。 曰く「自然」。曰く「直感的」。曰く「文字は気になってしょうがないが、こっちは無視できる/文字情報は見逃がすことがあるけどこっちは環境に提示するから見逃すことがない」 (どっちだよ)。
そう、僕にとって一部のアンビエントものは、まさしくトンデモ科学なのである。 そこで僕はそうした研究を指すものとして、「トンビエント」という言葉を提案したい。†1
ではそうしたトンビエントものが何故駄目か。その理屈をちゃんと考えることで、 本当に意味のあるアンビエント+テレプレゼンスものの研究が拓ける可能性がある。 これまでの研究が犯している主なミスを以下にまとめてみた。
- そもそも計測できない、あるいは計測困難なものを扱おうとしている。(「部屋の雰囲気」「安心感」など)
- 計測データを表現する仕方の妥当性の検証を一切していない。 (天気を色で表わすことができるのか?など)
- 個人の私的感覚に頼ったメディア変換。当然、普遍性を欠く。(「晴=青色」「喜び=黄色」)
- 情報量の大幅な削減が招く、出力結果のつまらなさ。(その割に装置が大がかり)
- 学習の手間を軽視している。(何かしらの音が発生したとき、それが何を意味するかを知るのに、結局マニュアルを見ないとわからない、など)
自然法則に従ったアンビエント情報 (外がふっと暗くなる→雨が降っている) の場合、 僕らが産まれてからこれまでに毎日積み重ねてきた経験があるから、入力と出力の関係はすぐに理解できるし、 地球上どこにいても大体同じだ。それが普遍性だ。だが、凡百のトンビエント技術は、 そうした経験の積み重ねをアテにできない。あるシステムのアンビエント表示技法を学んでも、他のシステムに乗り換えた瞬間にそれが無駄になる。それならばと完全統一システムをぶち上げて全世界にあまねく配り子供の頃から使わせるならば普遍性を獲得することもできるだろうが、それを前提にすることは現実味がない。
とはいえ、さっき挙げた問題点において、1 については長期的には解決できる可能性もある。 ただし、未発見の現象を見つけるか、人工知能の発達を待つか、いずれにせよ長くかかりそうだ。 2,3,5 は、しっかりとした評価実験を積み重ねることでその妥当性は確認できるだろう。 4 はインタフェースの問題で、段階的に詳しい情報を提示できるようにすればよい。
こう考えると、実はトンビエントものの問題点ってのも、ちょっとしたことなんだなぁという気もしてくる。なのでそれをひょいっと解決した実用的なシステムが出てくる可能性は当然ある。 でもその「ちょっとした差」ってのをトンビエントの人に伝えるのが、 また大変なんだよねぇ。
で、ここでどうしても「専攻分野反転の法則」 というのを思い出さずにはいられない。つまり、トンビエントテレプレゼンスな人達ってのは、 雰囲気とか人の心をなかなか読めないから、あの種の装置を必要としているのではないか…。 (専攻分野反転の法則については、あわせて「苦手は研究の母?」も読むことをお勧めする)
(2006.11.15に書いたものを改稿)
2014.12.2
- †1
- ちなみに当初は「アンデモ」と呼んでいたのだが、京都産業大の水口先生が考案された「トンビエント」の方が圧倒的にいいのでこちらを使用させていただいた。